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去年の今日の記 アンダンテファヴォリと 遥かなる恋人に寄す Beethoven

FB 「過去の今日」より。(52週間前)

2017年3月29日 22:33 ·

 

 

アンダンテファヴォリ(1803-4)と 遥かなる恋人に寄す

 

Beethoven - Andante Favori in F, WoO 57 Ludwig van Beethoven (1770-1827) Andante Favori in F, WoO 57 Alfred Brendel, piano 

 

テレーゼの旋律は?

エロイカ冒頭と同じだ。

sym4冒頭とも。ファヴォリは。遥かなるも。エリーゼも。第五も六も。じゃ七も八もか。九もだ!

 

 

 

 

Beethoven An die ferne Geliebte Op.98

 

シューマンが好んだ例の旋律(↑遥かなる…ラシドソ)の直後が、アンダンテファヴォリと同一(ドレドシ- シ♭ドシ♭ラ-↑ファミミーレドシ♭ソファ)。

 

だがそれで終わらせるんでは片手落ちで、幻想曲op17冒頭(ララソファーミミーレ〜↑ドラファシドレドシ)やop22pソナタ、op21ノヴェレッテン冒頭(ラソファミレーミレドレミド・ミレ、ファ ♭ミレドシドド♯レ)、op80トリオなどは、アンダンテファヴォリの変形であって、シューマンの中ではやはり結びついていた可能性は大きい。

 

フレーズの順序が逆転しているだけで。

 

ファヴォリは、op31・32にも。

 

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とか、思い出したようにほざいている。。なんか笑えた♪

 

| Rei八ヶ岳高原2 | 19:11 | comments(0) | trackbacks(0) | twitter-reiのHOME | - | - |

Brahms Quintet op111,RSchumann Rheinische,op2&Beethoven op132

ブラームス クインテット op111

op111 mov2

41:55-

 

 

これは シューマン ライン(Rheinische op97)の開始、とくに

 

↑0:08-15 フレーズからのインスピレーションである。と、散歩してるとき感じた。


——しかもシューマンが意識してかせずにか移調もせぬまま踏襲していたのかもしれないBach平均律2巻の es dur 7番 Fuga(BWV876。このことは以前の記事に記述)のmotive造形をブラームスもそのまま尊重し継承する形で。——

 

でもこうして聞くとブラームス、Rheinische(ライン)の想起はそのまえの楽章、つまりそもそもmov1冒頭からだ...。
SQuintet op111冒頭とは、シューマン-ジャンパウル、であるところの若々しきシューマン「蝶々 Papillon op2」を、晩年の馥郁たる情感に溢れるブラームスが回想することに始まる曲※だ…。(これも前記事に既述)

 

※...20180417 補記)というよりはそもそも Rheinische 's motivが、同作曲家自身のop2 Papillon に、由来しているのである!、といってよい。

シューマン自身が若き自己を回想しこれに動機づけられている。そのことにブラームスも当然ながら気づいた、もしくは(音楽上においても)合致した、ということなのだろう...。

 

 

いったいシューマンが、若い頃旅し、じつに素敵なところだった...しかし溺れる夢を見たといい、その予感通り自分と知り合った翌年に身を投げたライン川…を!このように万感溢れる浄らかな心境でこころに響かせるまでに、どれほどの辛苦を味わってきたのかブラームス。

 

おまけに、今偶然この演奏で気づいたことには、↑45:24- 46:06 (Brahms SQuintet op111)にて、

 

 

 

Beethoven後期SQ op131 ——この音楽はことに生々しく、姉テレーゼ( op78, À Thérèse )がエリーゼ=ジョセフィーネの懐妊を誤って舞い込んだ手紙のように告げ知らせてきた、あのときの鮮烈な印象を、ベートーヴェンが何度となくこころに蘇らせることに殆ど終始しているような曲だ。もちろん核心は最終章、殆ど終結部にあるのだが、その他の箇所も殆ど...、否、この作品のすべてがその核心のメタモルフォーゼンとしての内省で出来あがっているといっても過言でない作品である。むろんその悟達と枯淡の格調はたぐい稀な高位を保っているけれども...——その、冒頭0:00-0:40...。


このことを晩年の同ブラームス作品に於いても思い切り喚起させるように、この楽団は奏でている…。

 

なるほどそういう風に聞いてみれば、たしかにシューマンとベートーヴェンの旋律がごく自然と、ここ晩年のブラームスにおいて融合している!... むしろ諸人の魂が混然としてさえいる。

 

幾重にも伝え重なる芸術家のいちずな思い…。

 

それにしても、シューマンが蝶々を書いたのは、まさかライン川を旅し溺れる夢を見た、と友人に手紙にしたためたその頃、なのだったっけ??? あとでしらべてみる...。

 

 

ああ。そうだ!ほんとうだ。Op111の語り明かす通り。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/蝶々_(シューマン)

 

Papillon 19-21歳!の作品。ライン川で溺れる夢を見た、とシューマンが誰かに手紙を書いたのは、21歳だったと思う。

ブラームス!!! 心が透けて見えるようだ...。

 

すごいな。。そんな風にひとの溢れる心情やめくるめく追憶・秘めやかな感情の余韻までもが、全て音楽の中に語られ密々と守護されるなんて! 芸術万歳。

 

 

| Rei八ヶ岳高原2 | 19:32 | comments(0) | trackbacks(0) | twitter-reiのHOME | - | - |

Beethoven: String Quintet "Storm" Op.29 また、Camille Saint-Saëns op. 33のこと

今日のFB「過去の今日」から

 


FB 2017年3月26日 16:37 · 


https://m.youtube.com/watch?v=8pgC6CX9oBA

 

最初、シューベルトトーンで始まり、マーラーも興味を持ちそうな聞き分けがつかないシューベルト性(=歌性・詩性)を帯びた時間を経たのち、

13:00-くらいから、シューマンの匂いがしてくる。


シューマンがop41-1,2,3を書く時、またop44,47の楽想でも、この曲にあちこち足跡を残したようにきこえる。

ということは、メンデルスゾーンをも当たるべきなのではないか。。シューマンがメンデルスゾーンを通さないということはあまり考えにくい...。

 

最終楽章?はメンデルスゾーンオクテット。。。

冒頭はブラームス5,6重奏的でありシューベルト的

https://m.youtube.com/watch?v=pY_gbooPwoc

 

Mendelssohn - Octet in Es groot: Vilde Frang, Julian Rachlin,Rick Stotijn e.a.


ベートーヴェン初期のこの曲の影響力、布衍性は大きい composed in 1801
https://m.youtube.com/watch?v=5BWOHlEyHcs
 

 

Brahms - Sextet No. 1 & 2 - Members of Berlin Philharmonic Octet

 

https://m.youtube.com/watch?v=G55MDE2eaFE
 

Schubert - String Quintet D.956 - Budapest / Heifetz 1941

シューベルト最晩年。d944のあと

 

 

※stormもまた、エリーゼ

 

 

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昨日の、FB「過去の今日」から

 

FB 2015年 3月26日

 

 

Camille Saint-Saëns(カミーユ・サン=サーンス)の 受け継いだもの

 

https://m.youtube.com/watch?v=MC8LjoIaS4g&feature=youtu.be

LvB sym3

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=sru18UyAweA

 

Camille Saint-Saëns - Cellokoncert nr. 1, a-mol, op. 33 - Sol Gabetta - DR Symfoniorkestret

 

 

この中間的媒介としてあるのはなにか。

 

サンサーンスにとり、シューマンはまさしく中心にあるために?とりあえず除外するとして、

メンデルスゾーン。ブラームス。そして フォレ。

 

或る人間にとって当事者性のある人びと――この問題を突きつけた存在と、これを真摯に引き継がせた中心人物――はあえて除外するとして、その周縁を考えていくと、その人(この場合サン=サーンス)の苦悩がかえって浮かび上がるようで面白い

| Rei八ヶ岳高原2 | 14:13 | comments(0) | trackbacks(0) | twitter-reiのHOME | - | - |

Beethoven 告別(Das Lebewohl)と恋人(eternal Lover)とカッコウ(Cuckoo)

FB 2018 2月26日 17:39 (2014-5位から考えつづけていたこと)

 

 

ド-レ-ドー-シ-♯ラ-シ-♯ラー-ソ (ミレレードシラファミ)


遥かなる op98 1816年 の、ここ(0:34-48)のパロディが、

pianosonataカッコウCOCKOO op79 1809年 3楽章の冒頭

 


である

 

(※ただパロディorなぞらえ?が先に作られるはずがないので、カッコウは同時期の何かのパロディではないのか、それは告別?)

 

とともに

あの 終結点 後期三大PS の1曲目op109


の冒頭 0:47-52 への序章である...。

 

 

告別の3楽章は、似てしまったというより《意識的に》皇帝に似せられてある。

この作品が、誰に宛てた手紙なのか直感できるようにされている。

またぜんたいに、とくに2楽章はカッコウと同じトーンで作られている。

どちらかというと告別が先に作られてさえいそうである。

 

告別の2楽章ソ♯ファラ×2は、同3楽章のミドシファ×2となって現れる。

(しかも皇帝の変容に引っ掛けて。常に表裏で。)

だが同時に告別の2楽章は、カッコウの2楽章と双子の誕生のようでもある。。。

3楽章はどうか…。

軽快でおどけたカッコウの3楽章(ラド[ド↓ソ]-ファラ[ラ↓ミ]-レファ[ファ↓ド]-ソ-ラ)こそは、

op109となって(op98ドレドシ シドシーラ、や、ラーラシドーソ を含みつつ)化けるのであるが。

 

ジョセフィネ生前に宛てた最後のメサージュとなる。

 

告別の3楽章、もしくは1楽章⁉︎の方は?

1楽章の冒頭が、ドレドシ ♭シドシラ ↑ファミミーレド…となるようにも聞こえる。。。

 

カモフラージュ——パロディ、なぞらえ。

| Rei八ヶ岳高原2 | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) | twitter-reiのHOME | - | - |

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