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シューマン Op68 子供のためのアルバム Album for the Young-2

ペリのこと 小品のこと

以上、このツィクルスOp68という透明な床のあちこちに落とされたピアノコンチェルトOp54の残照についてのべたが、もうひとつ、主だって聞こえる気がするのは、楽園とペリ(Paradies und die Peri Op50)の名残である。Periの初演の指揮はメンデルスゾーンによってなされた。

http://ml.naxos.jp/album/GC08171 Paradies und die Peri Op50 (オイローパ・コール・アカデミー/南西ドイツ放送響/カンブルラン)

 


たとえば Op68-No21 Non Title にも、Peri の Leitmotiv やその展開仕様が見え隠れするように聞こえる。

Peri の Leitmotiv 自身、Beethoven の Sym4-motiv をどうしても想起させるものの、さらに飛浮感をただよわすRSchらしいたおやかな上下向をそなえた、このオラトリオにしごく似つかわしい線に思われるが、そのskylineの残像とその断続的な反行線(別な言い方をすると Part III: Verstossen! Verschlossen:追放、またしても門前払いだ のねじれとも言えようか)が、No21にも感じられるのである。

もちろん、このNo21 Non Title の終わりは、Peri-Part I Die Peri sah das Mai der Wunde、Part III: Hinab zu jenem Sonnentempel!,Part III: Dem Sang von Ferne lauschend, schwingtなどに現れる(このことはクライスレリアーナ論の最後にも記したし、※最近2016年度のop68とメンデルスゾーンについて、の記事や、ブラームス、ウェーベルンをかませた記事でも触れたが)メンデルスゾーンの存在とその死——1947年を巡る をも彷彿させる作品だと思う。

(そういえば No28 Erinnerung :メンデルスゾーンの想い出 自身も Peri の Motive やその変容 Part III: Verstossen! Verschlossen に通じるといえる)

 

※上記、シューマン(op68,op80 etc...)と、メンデルスゾーンとその死の前後、エリア(Elijah)等との関係についての太字部分について。最近の記事での補記(link http://reicahier.jugem.jp/?eid=49)を読まれたい...。

 

なおこの No21 は同時に、無類に美しい室内楽小品、Op70,73,94 などにも通じていよう。また Op56-2 も彷彿する。

 

また先に Op54 との密接な繋がりについて述べた No26 Non Title も、やはり Peri の Part III: Verstossen! Verschlossen、に通じる。

 

No24(刈入れの歌:Ernteliedchen ―― No20 田舎の歌 と No10 楽しき農夫 にもつながる曲だが)は Peri 最終部(Coda) Part III: Freud', ew'ge Freude, mein Werk ist getan に通じる。これは No33 Weinlesezeit,…:葡萄の季節… にもそのまま当て嵌まると言えよう。

 

No38 Winterszeit1 :冬1 には、愕いたことに同上 Peri のコーダと全く同じ形が登場する。

このことは、Peri の LeitMotiv そのものが Op68-No16 Erster Verlust(最初の悲しみ)と或る「同様の断片」から生じ――ちなみに同曲17小節以降の対位法的展開は、殆ど Peri の開始まもない展開仕様そのものである――、No38 Winterszeit-1:冬1 や、Peri の Verstossen! Verschlossen(またしても門前払いだ)、もしくは Peri's Coda へと 変容-展開していく音の軌道を垣間見せていると思われる…。

 

Peri's Coda は No17 Kleiner Morgenwanderer の、対位法の重厚さと足取りの軽い陽気さを兼ね備えた曲想にも通じており、これはのちにライン(Op. 97 Rheinische)にも通じていくように感じられるが、この曲を短調化し、付点の位置を調整すると、Peri-Op50 と同時にピアノコンチェルト Op54 も再現してくるのが、なんとも思慕をそそられる。

 

また Periと、No35 Mignon:ミニョン に関して、細かい話にはなるが、Op38-Sym1-Springともつなげてひとつ言っておこう…。

 

私にとってNo35 Mignon はこのアルバム曲集の中でとりわけ好きな作品のひとつだが、わけても印象的なのは、展開部(13-14小節)Voice1 ソーレ↑ーードシ♭ラ の哀しみである。イメージのもととなっているであろう平均律第一巻第一番の暗示的旋律線が天上からの促しに対する応答のようにひたすら上昇線を描くのとは反対であり、哀しい ‘妖精’ の描線である…。

この曲について、今あらためて遠い記憶を辿るように思い起こせば、RSch Op38 Sym1 春 nr2 の最終盤に、ソーレ↑ー という、なにか曖昧なさがしものをしているような管楽器によるみじかい問いかけ声(nr2はこうしてまるで放置されたように終わりをつげ、そして――表層的には――そのあとすぐこれの4度下から nr3 を起動させるようにもなっていく)がきこえたのだったが、それと同じ音型が、ミニョンに ソーレ↑ーー(ドシ♭ラ) という形で登場するのに気づいた(ここにはクレッシェンド・ディミニュエンドと sf の指定がある。

同じく印象的なソーレーの準拠は No37 水夫の歌, No36 イタリア水夫の歌などにもみられる)。

そんな断片は、どんな作曲家のどの曲にも転がっている、と一笑に付されそうだがそうだろうか。

私にとってシューマンのここのソ-レの、待ちもうけたような問いかけ、の印象はかなり強烈である…。そして問いかけた後のレドシ♭ラは同時に Peri の leitmotiv自身=ラソファミ…のSkyline にも通じているのである。この、Mignon(ミニョン)の展開部ソーレーードシ(ラ)を、Peri にも見出すならば、ソーレードーシー(ドラーソーファファー)が III Jetzt sank des Abends gold'ner Schein にあり、ソーレードーシー(レ)は III Dem Sang von Ferne lauschend, schwingt にもある(こうした線は移調すると Bach's Art of Fuge 未完最終曲と同じ。Peri については一部音楽の捧げ物との連関が言われることもありこじつけた…)。

どれもおぼつかなげの、かなり似たような雰囲気――問いかけ;待ちもうけたまま〜 ――を醸している。音楽の表情というのはおもしろいものである…。

 

ソ-レ↑の形に準じるものとしては、No36 Italian Sailor's song :イタリア水夫の歌(ここでは上向が半音下で反行ソ-ド♯。一度目はゆっくりと-反抗的で-鋭く突き上げるように、二度目は余韻(自問?)のように、これが繰り返される。ここで半音下をとったことの代償=解決はもちろん、次小節の急き立てられるようなスタカートですぐに果たされる。ド♯-レ…)に登場する。

ただ曲想の素描という面から言えば、2003年度にも書いたかも知れないが No9 Volksliedehen:小さな民謡 の素描が出来るときには No36 Italian Sailor's song:イタリア水夫 も出来るものなのであろう。シューマンの頭の中はこのみじかい一ヶ月足らずの間、さぞ忙しかったろうと推察される。

 

ところでこの「問いかけ型」につなげて言うと、ピアノコンチェルトOp54 の nr2 終盤には、これと逆向きの、極めて印象的な、やはりおぼつかなげの呼び声のたぐい、ファー シ♭↓ が、これまた管楽器による場所に、ある(この契機もまた、十全に閉じられず、nr3 を呼び込むような形に聞こえる)。

nr2( http://ml.naxos.jp/work/138766 RSch-op54 01:07〜01:11ところである )。

この ファー シ♭も、やはり Op68 ツィクルスのあちこち、宙吊り状態をあらわず諸作品に見いだされる。ただし具体的な旋律線としてではなく、声部を越えてむしろ背景に響きつづける仕方――たえずにじむような形――で。(No34 主題や、3つの Non title 26,30,34 ――など、どれもこれといったシニフィエへと着地せず宙に浮いている演習的な作品たち。)

また、準拠する形のものというとたとえば No37 水夫の歌。ここではソ-レ(上向)型と準ファ-シ♭(下向)型がvoiceを越え交代-共有される形によりモノフォニーで同時に描かれている。シューマンの問いかけ元素ともいえる ソ-レ や ファ-シ♭ ――それが時にはフロレスタン的跳梁となり、母性への訴えにもなるかとおもえば暗部から突き上げるような楔を打つスタッカーシモの鋭利さにもなる――及びこれらを契機にするか、2者を同時に組み合わせた多様な展開のインスピレーションは、シューマンという人間像の少なくとも一部へと、通じると思う。

※ついでにいうと、Op54-nr3 ヘミオラのところから数小節に現れるものの基いは、Op68 No34 Thema:主題 のデッサンへも同様に通じる。

 

※Op68-No35 Mignon:ミニョン は、全体的にいえば、Peri Op50 の Part II: Die Peri weint, von ihrer Trane scheintと次のIm Waldesgrun am stillen See、また Part III: Und wie sie niederwarts sich schwingt にただよう背景にシューマンが通した要素の展開に似ている。
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etcetc..

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2017年 追記

RSchumann's Mignon op68 Nº 35 は Beethoven's Mignon op75 Nº 1 に由来する♪

 

このようなことからすると、この曲集(Op68)が、メンデルスゾーンの死を経たのち書かれてもまだかろうじて常軌を逸していない?のは、表題通りまさしく子供のために書かれているのと、(そのことと不可分ともいえようが、あるいはまたメンデルスゾーンへの ‘想い出’ とも重なるのであろうが)幸福な体験や成功体験――(Op38)/Op54/Op50 ――をもたらしたものらと同じ基を、おのずからバックボーンとしているせいもあるのかもしれない…。

 


ところで、Op68 までは、裂割を免れかろうじて保たれていた常軌と造形感は、この後狂気をおびたものに転換される。この1年後のツィクルス、森の情景Op82である。op68 と op82 との間にある差異、おおきな転換点とは、おもに 根音の強調から根音の消去――構造の解体と、「世界」における超過点(健常-狂気の主従関係)の意味の交代であろう。

 

森の情景 Op82 は、第1曲からしてその狂気がはじまる…。小さい頃はじめて同曲集の冒頭に触れた時、この音楽を聞き続けていると自分は発狂する、と思っていたたまれず逃げ出したものだった。けして予言の鳥や
気味の悪い場所をはじめに耳にしたのではなく、この最初の曲(入口!)で、すでにそう感じさせられたのだ…。

森の入口――弱起の曲でないにもかかわらず、あそこにははじめから消失した時間がある(それは聞き手をはじまりの “ その前 ” へと呼び戻す)。その、前以て消去された瞬間とともに、おそらくはそれと同じ故郷から来るであろういぶかしさの聴取をおぼえる。たえずまといつく根音の無さ――底の飛沫化=黙示化。

 

Op68 まで、シューマンは特有の対位法の構築とともに、これと不可分な要素としての根音をロマン派のわりに基底とし、むしろドリブル効果(吃音や反省癖――背後の世界への病的振り返り/解釈症的意味付与=状況理解・強迫神経症的自己把持)などにより強調さえしていた。

ところが Op82 に至って、彼は――ある種皮肉な言い方になるかも知れないが――かれ自身にとって最後の救いの主であったその根音をも、ついに消しにかかるのである…。

 

根音の消却とは、そこはかとない だが あからさまな 深淵への開けとそれへの誘いである。それはけしてたしかめてはいけないと囁きつつたしかめるように誘う。ここに、沈黙が自然となりすました矛盾がある。それゆえに、この冒頭曲は、調性感のたしかさにもかかわらず、空恐ろしく魔的な響きとなる。

 

7曲目の「予言の鳥」の不気味さには、むしろまだしも救いがある。あそこには、形式によって――形式が身代わりとなって?――すでに保持された沈黙の象徴化がある。それは、物語が寓話と化すことによって帯びる確かさにも似ている。また、5曲目の「気味の悪い場所」では、調性の可変性という形で代行される病的形象の儀式的効果によって、当の生まな狂気そのものへの接触から、聞き手はかろうじて救い出される。

 

しかし、このOp82を転換点として、そこはかとない狂気は、あきらかに脱皮をとげ、露呈されはじめた…。

Op82 は、背景的には、Op68 の依拠がバッハの王道であるところの平均律――と私自身はどうしても思ってしまう、バッハ鍵盤音楽の本筋は平均律(基本的に条理世界-自由自律な摂理を主題)とフーガの技法(不条理世界-実存を主題)にあるだろうと――にあったのに比し、むしろパルティータや序曲系がメインとなっている性為もあろう。それが、シューマンの「幻想」との付き合い方に拍車をかけているところがあると思われる。つまり、正像でない世界との関係の結び方に影響を与えている、と…。

 

このとき、こういう事を考えざるをえない。バッハやベートーヴェンの対位法の常軌、その醸出する意味性における悟達の健常さ(彼らは根音を強調する、芸術の形式としても、また後者に於いてはとくに、政治的・状況論的意味に於いても)と、シューマンのそれとの関係。見方を変えると、現実世界と、悟性との関係とはなにか。疵を負った精神が、取り戻しがたいとともに更新されがたい過去や(じつは他者以上によく・つよく・深く『知って』もいるが、それだけになお)正視できにくい現実の歪像(幻想/幻景)を、切実に追うさまが、芸術表現として呈されたときの、世界「という」形のとりかた、“世界の狭歪”である…。

 

Op68の意味、またシューマンと、バッハの音楽の関係…。また、ベートーヴェンとの関係…。

ただひとつ、これを考えるとき、(クライスレリアーナ論でも述べたが)シューマンの音楽とは何かを、あらためて思わざるをえないわけだが、その際シューマンの音楽のもつ、ニュアンスの名付けがたさの帯びる<誠実さ>について、ひとこと触れておきたい。

 

たんに(ドゥルーズ風に言う)“逃走”線――この、状況に対し責任主体を定立することから不断に己を遠ざけるとも解れる、ともすると不誠実な言葉には、私自身はしばしば首肯しかねる――というよりはむしろ潜勢性のゆたかさと深み、いいかえれば<表層的な!>「何ものかであることの拒絶(P.ヴァレリ)」、より深層に潜む真理へと向かう、そしてより普遍的な主体へ<*到達しよう>とする遡行性・坑穿性・憧憬性の能弁さ、それらの奥行き、深刻さと厚み、シニフィアンスとしての純粋度(=名状しがたさ)etc...を考える時、もとより持っていた素質であろう対位法的進行と、自覚的に取り組んだバッハ的半音階進行の音楽性の模倣は、功を奏しているとは、言っていいだろう。(それが同時に彼の狂気を彼自身の人生にいっそう近づけたとも言えるかどうかは別にして…。)

 

*到達せんとして到達『できない』 / 〜し損ねる、というニュアンスの表明と、〜から逃走する / “ 逃走 ” 線を描く――根をはることを避ける、というニュアンスとを、私はやはり区別したい。(また、そうでなければ、他方の彼の執烈な楔の打ち込みの意味を理解することができない…)

その 未到 / 到達すること-が-できない、 のニュアンスの強調のなかには、たとえ、ある種の(確立されるべき)主体としての未熟さがあろうとも、それと、状況における責任主体からの逃避という不誠実さ――状況、その舞台は、ベートーヴェンが全生涯をかけて証したように、そして彼以降の音楽がおのずとそれを問われてしまうように、政治・社会問題であろうと、表現行為であろうと変わりはない…(少なくともシューマン自身はそう感じとっていた)――とを混同するのは、やり切れない。

だからこそ私は、表現力に於いて、強度だけでなく、やはり質――表現行為の際自己承認する(我)の純度、「私=主体」とは言い切れぬ不透明さのただ中で責任を取らされる準-自我の純粋さ――の問題をあげたいのである。この事象への問いなしに、私は同時にシューマンの、バッハやベートーヴェンへの、そしてこの意味に於けるある種の同胞シューベルトへの、敬愛を語ることはできないように思う。

 

ただ、シューマンのその B-A-C-H の学びなどに代表される半音階進行が、バッハと同じ境地や精神性を彼にもたらしたかというと、実際、そうではない。バッハ自身における半音階進行、たとえばB-H間の着脱運動によりじつに効果的に達せられている、**東洋的無の醸成とか、悟境におけるふとした転位(shift)etcetc..という面についていえば、シューマンの場合、そのようなものにはなるわけではない。

 

**…これらについては、同2003年時の(もちろん、当時は少なくとも日本においてはもっぱらバッハのキリスト教的側面がすぐれた研究によって強調されていた。このような世相において、バッハの音楽に仏教的な悟境やら東洋的無やらを感じる、などという突拍子もない感想を述べることに甚だしいプレッシャーを、当時感じてしまった心境を想像して戴けるとありがたい)、自分のwebサイト日記に記してあるので、追々こちらの記事にも、別途記載していきたい。

そればかりか、およそ別のもの――「問いかけ」、「待ちもうけ」たまま(A.ジッド)、永遠に閉じられることのない迷彷的な何か、浮遊する何ものかへとなるのである…。
それはこの曲集に於いても、主題( No34 Thema )なるものと、3つの無題作品( Non-title No 21,26,30 )といった、B-A-C-H の試みにも現れはじめている。

 

芸術表現には、或る種の抽象化は必要とされるし、またそれが個性の現われともなる。なるほど、たとえばベートーヴェンの後期SQなどに典型的にみられるように。

ベートーヴェンの後期SQについていえば、あれらのモティフには、厳粛で絶妙なる抽象化(シニフィアンとしての淡さ;どのシニフィエからも遠く殆ど平等に漂う距離、とも言えるものがある。とはいえあそこにもじつは、某シニフィエの残影、といったものがもちろん、ある。そしてメンデルスゾーンもシューマンも、彼ら自身のSQに於て、その影の正体を理解していた。が、メンデルスゾーンの場合(sq-Op2)、そのシニフィエを如実に装填したまま再度ベートーヴェン晩年のSQを自分流に実践しなおしたのに比し、シューマンの場合(SQ-Op41-1)、その(暗黙に見いだした特定のシニフィエの)影の「消し去り方」をまで後期ベートーヴェンから学びとり、<ロマン派的>にではあれ、ベートーヴェンの意図と精神をできうるかぎり尊重したまま、その抽象化保持の手法を踏襲しているようにも聞こえる。つまり抽象化されてもなにがしかの根は残るのだし、それ(根の影、またその残し方/削ぎ落とし方の帯びるシニフィアン)なしにはダイナミックな運動の展開、状況との関係と超脱の変化etcetc..はもちろんありえない。

 

芸術に於ける抽象性の問題は、音楽のみならず絵画や文学にも通用するものであることは間違いない…。

たとえばノヴァーリスによれば、ゲーテは「類まれな厳密さで抽象化しながら、同時にその抽象に見合う対象を…作り出す」のだと言う。が、そこで芸術家に問われるのは、その抽象化の手法の熟達さと同時にその帯びる意味であるだろう。

特にバッハ以降、音楽が(宗教性とともに、否むしろこれと不可分な仕方で)実存性を帯びはじめ、ベートーヴェンに至っては政治性-折衝性すら濃厚に語りはじめた。ベートーヴェンの音楽とは、冒頭にも述べたが殆どの作品が、ある観点から照射すれば状況論的運動性の音楽でもあるとすら言えるだろう。そうした音楽以降にとって、表現に要求されはじめた重要なことは、すくなくとも急所に於いては具体的状況の素描を露わにし、時にはそこに斬り込むこと、ないし楔を打ち込むことだといえる。別な言い方をすれば、大事なのは、諸々の音楽的主体にとっての原点=実存性、世界に内「属」するその仕方・状況づけられ方を、表明することだろう。

そしてその際、その音楽的主体の原点を、排除するような運動性がもし、創り手によってその表現の中に――無意識にであろうと故意にであろうと――しのび込まされてしまっているとすれば、それは或る意味、敵(死)と通じてしまいかねない。

シューマンのOp82やシューベルトのナポリ6度の多用などに見出せる根の消去・根の転遷(旋転)は、やはり生を肯定する志向性から見るならば、ある意味狂気であり、空恐ろしい…。
「どうにも根を下ろしがたい」という表現のリアリティとしては、こんなに成功した音楽もないのだろうけれど。

表現に於ける遡及的歩行と運動は、急所では根の削ぎ方を余程注意しないと、どのみち敵陣地へみづから招き入れられるようなものだ――言ってみれば、蟻地獄へ落ちる。後ろ向きで…そうして死や、専制的なもの、ファシズムに再び出くわすのは必至となる…。むしろいかに己が敵陣地で闘わず、杭を打ち込むか、連れ去られるのでなく、こちらの土俵(phase)へと舞台を持って行くか、闘争=折衝していく運動のダイナミズムを展開していくことも、弁証法の冒険の、ひとつの醍醐味ではないだろうか。(もし「生」――生き抜くことを、あくまで肯定した場合)

 

いずれにせよ、根の削ぎ方 もしくは逆に 楔の打ち込み方 といったものは、表現行為に於いてしばしば能弁である…。Op82 におけるシューマンの根の消去、そのありようが、シューマン自身とその運命にとって好運なベクトルを帯びているとは思われない…。(そしてもちろんそのことと、好き嫌いは全く別の問題である…。)

 

長い間脱線したが、ともかくもそんな風に Op68 の実践ではまだ無邪気さをも残していた「バッハ的」試みにつきまとう “ こころもとなさ ” は、次第により幻想的で、無気味で?、時に寓話的で、魔性を帯びた何ものかへと、シューマン自身の中で変質していく。そうしてそれ以降は、そうした浮遊性が、かつては “ こころもとなさ ” であったところのものが、ある種異妙な “ うつろさ ” を帯び始める…(そうして次第に地上的存在であることを拒否してゆく…。)

 

http://ml.naxos.jp/work/273753 (7 Clavierstucke in Fughettenform, Op. 126)
うつろさ――
こころもとなさ から 異妙さと無気味さ、そして 晩年のうつろさ への変質。こころもとなさ(Op68 3つの Non titles , Thema) が 根音の消去または薄弱さにまで至り、ときに調性逸脱をもいちぢるしく予期させ(Op82)、狂気を帯び(同Op82-4,7)、 やがてうつろさへ( Op118,126 etc..)、というわけである…。

 

ローベルト・シューマンの場合、たしかにそうしたバッハ的なものの実践は、たとえばベートーヴェンによって晩年に果たされたような無類の音楽的抽象性を粗描することに、徹頭徹尾成功するのでもなく――とはいえ繰り返すが、SQなどにみられるように、当時の若きメンデルスゾーンとの比較でいえば、ベートーヴェン後期からの学びに於いても、その抽象性、特定のシニフィエをまとわぬシニフィアンそのものとしての純度/何ものにもなり切れなさ が、より保持されているとは、理解している――また調性逸脱をひとしきりほのめかしながらも、その***完全な逸脱には、ついぞ至ることもない。
***…(但し、この後に書かれたもうひとつのツィクルス「森の情景」での、ことに「気味の悪い場所」「予言の鳥」の試みは、別格と見るべきだろうが。)
かといって、ロマン派のさなかにおけるバッハの再来として――言ってみれば殆ど健全な?――悟境へとひとを誘う、こともない…。

むしろ何かますます詩性=魔性を帯びたものへとかれ自身を至らせ、次第にしばしば狂気をすら包み隠さぬ何ものかになっていく。

 

シューマンの場合、B-H 着脱運動の、一種の霊的成果ののちに「超越されたもの」が、いったい何と何との境界であったろう?
それは、いかにもバッハ的な悟達の洋の東西の超越でもなく、かといって後期ベートーヴェン的な彼岸と此岸の超越でもなく…ではいったい何と何との境界なのかについて。

op68まではバッハ的技法の古典美によってぎゅっと凍結され最後までかろうじて閉じ込められていた何かが、op82では、ついに“殻を破り”生身が脱皮してしまった。そうして(影/退隠であるべき)それ自身が音楽的主体になってしまった。いわばop68からop82への転換には、重要なものの裂開がある。アラベスク-最後の古典美 から グロテスク-アラベスクへの逸脱、狂気の現出が聞こえるのである。

もちろん、シューマンの狂気ははじめから存在していたのであり、そこここに見え隠れしていたのも事実であるし、逆にどんな狂気の現露の裏にも、作曲家としての健全な、実験的=実践的自我の裏打ちがある、というのも「表現」の成り立ちとして真実ではあるが、やはりそれでも、ああとうとう露出したと思わざるを得ない転換点が、あるように思われる…。

そのことの意味は、音楽的にはたんに調性逸脱の試み、もしくはその示唆に富んだ契機、ですまされるかもしれない――これ自身十分すぎるほどの仕事であり影響力である――が、「この作曲家」本人の精神の内実としてはもっと肉の厚みをともなう重い意味がある。

 

 

-------------以下メモ-----------


http://ml.naxos.jp/work/265158 (6 Fugues on B-A-C-H, Op. 60)まだ模索段階。そのなかでの複声部によるバッハの学びからなにがしかシューマネスクなものの浮上の探究。
☆この最終曲には次作品Op61-Sym2最終楽章コーダに繋がっていくのとほぼ同型のスケッチがある。Op61-Sym2においてはこのバッハ演習(Op60)から生まれたエサンスを、あのなじみ深いベートーヴェン(遙かなる恋人)へと合体させ、それまで危機的な苦悩のうちにも焦憧してやまなかった遠い彼方を、ついに此岸へと到らしめるのである。
☆余談だがこの頃シューマンはペダルピアノのための曲集やスケッチも残している。秀逸なop56,また20代に作曲したピアノ曲の旋律や性癖をふたたび採用したかに聞こえるop58など。

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シューマンにおけるバッハ演習―― B-A-C-H の試み、または対位法

参考】

B-A-C-H? Schumann -7 pieces en forme de fughettes op 126
http://www.youtube.com/watch?v=Lp2SOp1m95I&feature=player_embedded#!
Reine Gianoli (1974)

うつろ Schumann Sonata for the young, Op.118
http://blog.livedoor.jp/bachelor_seal/archives/10336739.html

寂寥 Schumann - 5 Gedichte der Konigin Maria Stuart, Op.135
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Schumann_Op135.htm

http://www.youtube.com/watch?v=hzV24LfcR28&feature=player_embedded

例外的に勇壮、しかし晩鐘的? Schumann - Provencalisches Lied Op.139 Peter Anders , 2. Upload
http://www.youtube.com/watch?v=E_p_5p7FO5I&feature=player_embedded#!

あまりにも清澄、たんなる霊性が醸し出されるのでなく、“肉の厚みをともなったままの清浄さ”が、心身ともに天上へ行ってしまったことをparadoxicalに物語る…。霊性が、“ 身体をまとい続ける!? ” こと、幽体離脱しないこと――これこそは、シューマンと、その影響を受けたフォレとの決定的差異であるともいえる。

Schumann - Four Double Choruses Op. 141
http://blog.livedoor.jp/bachelor_seal/archives/10455489.html

 

ノヴァーリスに、このような言葉がある( from @Novalis_bot on twitter )霊となった人間は―同時に、身体となった霊である。もしそう言ってよければ、このような高次の死は、通常の死とはなんら関わりをもたない―それは、変容と呼ぶことができるようななにものかであるだろう。 『フライベルク自然科学研究』

 

シューマンの晩鐘抄録とは、まさしくそれである…。

 

op141 op147 op148
たしかに上記のような晩年のシューマン作品を聞いていくと、これらに多大な影響を受けたであろうフォレとの連関とともに、相互の違異について考え出してしまう。
フォレの場合、調性の浮遊感とともに霊性のみが現出し、身体性は失われる(消失すべきものとして地に残される、あるいは逆に地に忘れて来てよいものと承認される?)のであるが、シューマンのはたとえ対位法進行はおろか半音階進行中でもちがうのだ…。その音楽は肉の厚みを帯びたままでいるので、“ 身体ごと ” 天上に持って行かれる、もっと言うと、もう天上に行ってしまった心-身が、地上の追憶としての亡骸(もぬけ)にむかってうたい・語りかける…、それは殆ど、透明な熱――それはもう白熱(シューベルトのミサ曲)すら通り越している――を帯びつつ見下ろしながら語りかけている、という感じだ。

 

ミササクラ  Missa Sacra Op.147 1852 清冽なる狂気(パラドクス)
http://blog.livedoor.jp/bachelor_seal/archives/10541356.html

レクイエム Requiem Op.148 1852
http://www.youtube.com/watch?v=kpEAenSKshk&feature=related

(ミニョンのレクイエム&ミサ曲ハ短調(ミササクラ)のカップリングでコルボ指揮のCDが出ています。)

 

こうして聞いてくると、おのずとこうした言葉が口を突く…。

シューマンは生前(1852)に身の浄めを終えていた。橋の上から大河へと身を投げるより前に…

 

 

2012年にFGやtwitterに投稿したものを所々織り込んでいます。また、最後になりましたがシューマン楽曲のLink先の皆様にお礼を申し上げます

 

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シューマン Op68 子供のためのアルバム Album for the Young-1

2003年01月23日 (木)

*(注、文中、前半――引用枠内――は2003年01/23〜02/07のもの。後半は2012年09/09〜10/27のもの。前半のmarker部分だけは12/09/03に付加した。なお註釈や参考は2012記によります)

【参考】
http://ml.naxos.jp/album/ARTS47756-8
SCHUMANN, R: Album fur die Jugend (Album for the Young), Op. 68 (Ammara)

 

2003年01/23――雪の日に亡くなった父親の命日に

 

先日、リヒテルのバッハ平均律を聞くと雪を想像する、というような事を書いた覚えがある…。
ちょうど今――父親の命日――、八ヶ岳にも雪が降っているのだが、ワイセンベルクによるシューマンのユゲントアルバムop68も、私にとって、そういう感覚を覚えさせる作品である。しんしんと降り積もる雪を、ともすると曇りがちの窓越しに見つめながら、ひとつひとつの音に耳と神経を傾ける、というのにもっとも相応しい作品であろう。

勿論、あの有名な「楽しき農夫」やら、「刈入れの歌」、「葡萄の季節!」、「春の歌」、など、ゆたかな四季を感じさせる題名のものもあるし、勿論直接には子供向けに書かれた作品なために、楽しげな風景やら題材を背後にもつ情緒のものも多いのではあるが、曲集全体に流れているのは、あまりに透明度の高い、コラールを基調とする厳選されたエッセンスの結晶であって、それらが醸すものは、明るいものも暗いものも、――ことにワイセンベルクの硬質なタッチによるこのop68へのアプローチと表現にあっては――悉くシューマンの病的知性と神経を通した、むしろ凍りつくような冬のイマージュそのものである…。

ところで、先述した記載にてこの曲集をクライスレリアーナとともに取り上げなければならないと感じていたのは、今思えばシューマンに於るバッハ的なもの、もしくはバッハ〜ベートーヴェン〜シューマンと受け継がれたと思われる、何か透徹し一貫した西洋音楽の神髄について、曲がりなりにも何かしら探り当てられたらよいという意図からだった。

【注】尤も、シューマンに於けるバッハの通底と、ベートーヴェンからの影響の大きさは、――シューベルトとメンデルスゾーンをその際ともにあげなければならないが――もちろんクライスレリアーナに限ったことではないのだから、両作品をつねに同時に論じなければならない必要性もないのだが、シューマンのPiano以外のジャンルの作品――交響曲や歌曲、室内楽、他――をまだ殆ど知らなかった当時のweb日記であったことと、これまたバッハ、ベートーヴェンを想起させる程の主題の発展の有機性、という意味で自分にとって両作品がとりわけ能弁に聞こえていた、などの由として、乞謝されたい。
昨今でこそ、例えばアンドレアス・シュタイアーがバッハへのオマージュという形でシューマンのCDを(その中にはop82やop15,32,126などとともにこのop68から――その中には予想に反してとりわけ聞きたいと念じていた数作品が選曲から洩れてはいたものの――いかにもバッハを彷彿させる数曲が選び出されている)出してくれたり、アンデルジェフスキのシューマンへのアプローチが、バッハ-ベートーヴェン-シューマンへと通底するものをみごとに物語って(しかも彼のベクトルは音楽通史というよりむしろシューマンからベートーヴェン、バッハへと遡行する何ものかを探り当てたかのようである。またそのシューマンの背後にはシマノフスキなどもいたりする)いたり、はたまたシフの演奏会への真摯だけれども鋭い姿勢・プログラムの組み方などがそうした事々を暗示させてくれるなど、バッハ〜(ベートーヴェン)〜シューマンをつなぐ基底に我々が気づかされる機会がかなり多くなってきているけれども、私がこれをHPに記していた2003年当時はどうだったのだろうか…。
ただたんに日本ではシューマンの演奏会もCDも売れない、それどころかシューマンの存在自身がメジャーではなかったために、それに関する研究も日本には紹介されず、シューマンの音楽性の分析、功績などに関する論文も運ばれて来なかったということだったのだろうか…。ヨーロッパなど海外自体でも今日と比較すればバッハからのつながりといった面での研究が不十分だったという側面もあるのだろうか。

 

2003年01月24日 (金)

「ユゲントアルバム」――アルバム・フュル・ユーゲント――は、(私にとって)「子供の情景」よりさらに、コラール風な作品の風格と完成度、旋律線の交錯をはじめとするバッハ的な諸要素と格調の彷彿などに於て、純度の高い作品である。また、個々同士が、形としては各々分岐していながらきわめて有機的つながりを持ち合っているのも拙別記事クライスレリアーナなどと同様である。

はじめの数曲は、ガルッピかモツァルトか、はたまたセブラックか伝承された聖歌か、というほどごく簡素なエッセンスのみの作品であり、初心者の指のための数少ない音と、また極力少ない自然な動きでも宿りうる至純な音楽性と表現の可能性を思慮し、珠玉のエッセンスのみで出来上がっている。と同時に後の曲に受け継がれる主題となっている面もある。
以下では、まず同ツィクルス内での主題の密接性と関係性を追ってみる。
4「コラール」は、文字通り42「装飾されたコラール」へと発展するが、それ以前にも17「朝の散歩をする子供」や22「ロンド」とも兄弟関係になっていくと捉えることもできる。
また9「小さな民謡」もこのコラールを原型とした最初の短調ととらえることもできる(32「シェヘラザーテ」とも通じる)。
また同「コラール」が、やはり簡潔な冒頭の3エッセンスと見える 1「メロディ」・3「ハミング」・5「小曲」などのヴァリエーションを通して、20?「田舎の歌」、またこれを3拍子風(6/8)とすれば「刈り入れの歌」、或るいはまた別のパターン=30「無題」などへも変換されることができる。

4「コラール」を起点に、後々各ヴァリエーションへと繋がる1「メロディ」3「ハミング」5「小曲」の間にはさまれている2「兵士の行進」は、最初の短調6「あわれな孤児」へと、まず展開する。
その6「あわれな孤児」も、いささかベートーヴェン風にアレンジされつつ、後の29「見知らぬ人」に発展する。が、殊に展開部(16小節以降)にみられるようなコラール要素の行進曲風で重厚なアレンジなどは、その経由点として「朝の散歩をする子供」を介する。
――等々というように、あるエッセンスを基に、互いに有機的なつながりを保っていると捉えられる。

9「小さな民謡」は――3小節目からのフレーズが#16「最初の悲しみ」の主題となり、後々28「想い出」などへと通じる。またやはり最初の短調「あわれな孤児」の、よりコラール色のつよい変奏曲ともいえる面があるが、同時にやや哀しみをも帯びた長調作品――18「刈り入れるひとの歌」・20「田舎の歌」――などとも通じよう。より明るい側面としては左手に主旋律を移した「楽しき農夫」につながるが、同旋律は24「刈り入れの歌」となる。
このように色々なエッセンスとなる小曲であるが、ここにはすでに人生の透明な哀しみといったものが、十二分に込められている。

#16「最初の悲しみ」も、28「想い出」、38「冬1」などと変奏曲の関係にある。そして、27「カノン形式の歌」、43「おおみそか」などとほぼ対位的変奏曲の関係にある。
(#おおみそかは 22ロンドのよりコラール的な重厚さを増す形での変奏曲である)

また11「シチリアの踊り」の中には、クライスレリアーナの中でも触れた、シューマンらしい独特の短調と長調との辺境、あのゆらぎの原型が、素朴で伝統的な音楽形式の中にも持ち込まれている。
12「サンタクロースのおじいさん」には、まだまだユーモラスな雰囲気の中にもシューマンらしい翳の投影した虚無の芽を見出すことが出来るし、音楽のモノフォニーからポリフォニーへの移行を伝えている。ポリフォニックな展開部は対位的であり、早くもベートーヴェン風である。

 

2003年01月25日 (土)

13「愛らしい五月よ」になってくると、もうシューマンのあの途方もない憧れが顔を出している。それは時に「幻想曲」を思わせたり「クライスレリアーナ」の第2曲テーマを彷彿させたりする。(※尤も旋律線そのものからすれば、クライスレリアーナ-2は、短調で書かれてはいるが、むしろ27カノン形式の歌と基を一にする。(注:これかさらに40小さなフーガと連動するような形でOp54ピアノコンチェンルトにも通じていくように思われるのだが、それは後述する。)この旋律線が、もとをただせば何処の誰に由来しているかは、拙blogのクライスレリアーナ オマージュと付記を参照されたい。愛らしい五月よ、がクライスレリアーナの2を彷彿させるのは、旋律線自身の同一性よりもむしろその膨張型・蛇行型としてのロマンティシズムのより明るく無垢な再現と、余韻の転移的形勢――サブドミナントへのたよりなげな、なかば問いかけのままの着地、として――の同一性である。この小曲ではその余韻の経過(音)的着地が分散和音の形であらわされている)が、その憧れはあの時のような情熱を伴ってはいなく、むしろあまりにも澄明で透徹した、狂気や死をその凍りついた祈りの向こう、祈りの結晶となった明るみの向こうに、暗示する…そうした憧れである。
音楽的には、シューマネスクな付点や休止符、スタカート、かと思えば細心の神経を払わなければならないスラーが、頻繁に顔を出しめる。21小節目の展開部からは、クライスレリアーナめいた半音階進行と一瞬土台の安定性を喪失しかけたかのような転調が入り込む。装飾音符(短前打音)を除けば、この辺りはバッハを想起させる。
14「小さな練習曲」も、水に映ったような上下の美しい音の並びは簡易な対位法が基となりつつ、バッハ-プレリュド的なスラーの橋が左・右手の音域をまたいで渡される。左右でひとつの旋律を生じつつ上昇と下降、大きなうねりと小さなうねりを繰り返しながら進行する。あえて速く演奏すると解りやすいが、左手は所々通奏低音の役割を果たしており、この旋律のうねりは、意外にベートーヴェン的でもある…。

 

2003年01月26日 (日)

20「田舎の歌」―21「無題」―24「刈り入れの歌」―27「カノン形式の歌」―(30「無題」)―33「葡萄の季節;楽しい季節」―(34「主題」)―(35「ミニョン」―)28「想い出」―40「小さなフーガ」―43「おおみそか」
これらはすべて一つの主題から生じる。

35「ミニョン」の発生には、14「小さな練習曲」が介在する。
30「無題」には、34「主題」、及び37「水夫の歌」が潜在する。(37、これと対位的に36「イタリア水夫の歌」がある。)その「水夫の歌」には23「騎手」が前提にある。
「騎手」はリズムの原初だが、同時にメロディとしては最初の短調である9「小さな民謡」(-16「最初の悲しみ」-25「お芝居の想い出」)から来る短調のベースが、後半のこれら重暗い短調作品に、通底する。この短調ベースは38「冬1」にも通じる。それはことに16「最初の悲しみ」に近い。が同時に38「冬1」は、(13「愛らしい五月よ」〜)15「春の歌」、また28「想い出」・21,30両「無題」..等、物悲しげな長調作品にも近いのである。
41「ノルウェの歌――」も小さなフーガから生じうる。同時に4「コラール」を原基とするようなコラール風4声構造が必要となる。だがこの重厚な4声コラールは、和音以外の形で実は各作品の至る所で使用されている。変形としてたとえば34「主題」などもそうである。
(#だが「主題」は15「春の歌」と或る同一の基底からも生ずる。)

 

2003年01月27日 (月)〜28日 (火)

きのう記した相互関連を、再度別の観点から整理する……

◇律動性(rythme)の基礎と旋律の付与――付点/休止符/スタッカート(スタッカーシモ)のある譜面

2「兵士の行進」
ベートーヴェンのvn.sonate「春」第2楽章の、より簡潔な形である。が、この曲は付点や休止符を除外すれば、かなり賛美歌風の3声部構造を持っている。
この作品は長調であるが、付点や休止符を取ったその素直な状態で短調の旋律を作れば、9「小さな民謡」となる。

尚この曲のrythmeは、後の長/短調の両作品の基礎になっている。

まずほぼそのままの律動的特徴から、29「見知らぬ人」・36「イタリア水夫の歌」・37「水夫の歌」などの短調作品が生まれるのである。
長調作品としては、2〜4小節/6〜8小節の下降形がそのまま31「戦士の歌」の2〜3小節/4〜5小節となっている。また、ロハニの旋律進行をロニニと還元しイ長へ移動すれば17「朝の散歩をする子供」(→♯ハホホ)へと変奏される。

6「あわれな孤児」このrythmeはスタカートをはっきりし加速させれば、やはり29「見知らぬ人」となる。(「見知らぬ人」には8分音符で「ニ」音の前座がある。)
*「見知らぬ人」はいろいろな曲をつなぐ鍵になる発見をさせられることが多い

7「狩人の歌」
ひとつ前の「あわれな孤児」から微弱なスタカートは登場するが、明解なそれとしては、はじめてのスタカートが登場する。このスタカート部、ハヘイハヘハニハイヘト、は後に18「刈り入れる人の歌」ハヘイニハイヘホトニハ、と極めて似た形に動揺のスタカートで展開される。
そしたまた短調としては、ハヘハヘイヘイハイニハイヘ を移調し→ホイホイハイハホハヘホハイとなって8「勇敢な騎手」が蘇生する。
(尚、これに添う左手和音にも同時にスタカートが付され、11「シチリアの踊り」や、23「*騎手」、25「お芝居の想い出」に発展する。
*「騎手」については後に詳しく触れる)

8「勇敢な騎手」
その「勇敢な騎手」であるが、#左と右の主旋律交代が、表立った形でははじめて登場する。

#…単にこうした形式としても10「楽しき農夫」に継がれる。が、この曲を長調化した形――(ちょうど10小節目以降、左に主旋律が移る時点から長調になるが)――ハヘハヘイヘイハイニハイヘ、がハヘ⌒⌒イハ⌒⌒ヘロニヘニハ⌒⌒と変奏された形が10「楽しき農夫」の主旋律でもある。ところで「楽しき農夫」がさらに13「愛らしい五月」へ(さらに15「春の歌」へ)と変奏されるが、「愛らしき五月」(長調)は、短調化されるとほぼそのまま「お芝居の想い出」となる。まったく同じ音型とrythmeで出来ているのである。つまり「勇敢な騎手」からは「楽しき農夫」や「愛らしき五月」に通じるものと、「お芝居の想い出」などスタカートの短調系と両方に通じるものとに分岐するのである。さらにこの作品は拍子を変化させたり8分音符×3のスタカートのうちの1・2拍を同音(もしくはタイ)でつなぐと「田舎の歌」「刈り入れの歌」にも通じるのである

#…8「勇敢な騎手」から、10「…農夫」、この「農夫」を短調化したものが、「第二部:年上の子供達の為に」の冒頭曲、19「小さなロマンス」となる。だがこれが短調化するに於ては、8「勇敢な騎手」が或る意味で土台になり、融合した形になっている。

8「勇敢な騎手」は同時に17「朝の散歩をする子供」にも発展する。左/右手の主旋律交代が行われる意味でも、短調の長調化、という意味でも同様である。
ただ主旋律交代に関しては、「朝の散歩…」に於ての方がより頻繁である。がそれはむしろ左右交代というよりは、3声による対位法が第1主題に対して5度,6度で出現してくるのである。

また長調化という点では、8「勇敢な騎手」(イ短調)のハ音を#にし、そのままイ長調に転じた音型(ホイホイハイハホハヘホハイ→ホイホイ♯ハイ♯ハホ♯ハ♯ヘホハイ)を仮の主題として展開される変奏曲であろう。同様にして8「勇敢な騎手」をイ長調化して出来た仮主題を、さらに展開させた、16「朝の散歩…」の兄弟として、15「春の歌」(→ホ長調)や21「無題」(→ハ長調)、33「葡萄の季節:楽しい季節」(→ホ長調)、34「主題」(→ハ長調)などがあるだろう。というより、これらは「朝の散歩…」の直接の同胞とも言ってよい(どちらがひよこか鶏にわとりかは判らない)。殊にrythmeに関して33「葡萄」・34「主題」は、17「朝の散歩…」と全く同型である。が、ここでは何れもスタカートやスタッカーシモは用いられてはいない。

尚、17「朝の散歩…」の10小節目以降は最終曲43「おおみそか」に継がれる。「朝の散歩…」もまた、色いろな意味で多面的な形で各曲に諸連関を持つ書式も重厚な作品である。

 

2003年01月29日 (水)

13「愛らしい五月よ」…これは、25「お芝居の想い出」と長/短で表裏の関係にある。伴奏部はスラーとスタカートでの和音と対照的だが、主旋律部は同じ主題の変奏曲同士であると見てよいと思われる。
2/4拍子、rythmeはともに2拍目からの惹起で、16分音符×4×2の形式で成り立つ。
曲の雰囲気は正反対であるにもかかわらず、アーティキュレーション――スラー及び、スタカートの運用――もほぼ同型である。

しかし「…五月」のほうはすでに後の15「春の歌」、21/26「無題」、22「ロンド」など物悲しげの、やや短調気配を帯びた長調に、また「お芝居…」のほうは23「騎手」、29「見知らぬ人」や31「戦士の歌(長調作品ではあるが)」、36「イタリア水夫…」など暗鬱もしくは不気味な緊張感を漂わす作品に通じる要素乃至雰囲気をそれぞれに孕んでいる。

23「騎手」…「見知らぬ人」「イタリア水夫の歌」とともに、子供向けにしては不可解な不気味さ、シューマネスクな、いわゆる跳梁的暗鬱を孕む小品である。ここに於る付点と休止符だらけの譜面、多くのスタッカーシモと、この特徴的リズムのまま展開部に出現するホモフォニックな半音階進行、重厚な左和音(octv.でなく間にもう一音入り込む)は、クライスレリアーナの第5曲や特に第8曲の吃吶音を彷彿さす。

述べてきたように、この曲はそもそもは8「勇敢な騎手」のようなモティフから生じてはいるが、その持つ「楽しき農夫」的な側面では勿論無く、「お芝居…」「見知らぬ人」(#31「戦士の歌」)36「イタリア水夫…」、#37「水夫の歌」などの底に通じる。

#31「戦士の歌」は長調作品ではあるが、クライスレリアーナ5曲などにも登場する暗鬱なホモフォニー(「イタリア水夫」「水夫」「冬2」などに現れる)を持ち、けして明るいとは言えないシューマネスクな短調の余韻漂う作品である。更にここに出現するのは対位的で重厚な和声である。(##「水夫の歌」も同様)

 

2003年01月30日 (木)

##37「水夫の歌」……これも31「戦士の歌」と同様、ホモとポリ(対位法による)が交錯する。
開始のフレーズ(1〜9小節)はホモフォニーであり、9小節目からはこれと対照的に、厳格なと言ってよい程の対位法が登場する。その対位法は4〜5声からなり、第1声部と第5声部が対称となっており転回形をとると同時に第2声部が第4声部と転回形をとる。再びホモフォニーへ還って、32小節以降のやや暗鬱な奇怪さはことにクライスレリアーナ第5曲のホモフォニックなあの中間部を想起させる。

39冬2…作品の前半;短調化したグレゴリオ聖歌ともいうような雰囲気の厳粛なホモフォニーでは、直前の「水夫の歌」をひきずり、後半のバッハ風メロディ(左右の声部が3度差などで同型の音列進行をすれば端的にわかる)の、流れるような半音階は、直後の「小さなフーガ」を潜伏させている(が、それは14「小さな練習曲」16「最初の悲しみ」〜27「カノン形式の歌」32「シェヘラザーテ」らの歩みを含んでいる)右手進行(16分音符×8)がほぼ飛躍のない半音階の動きなのに対し、左手進行(8分音符)は4ないし5度ずつ隔たった音へとまたいでゆく。また所どころは1octv.乖離のホモフォニーと8分音符1拍差の転回形とが交錯をなす。
49小節以降(ein wenig langsamer)には非常にコラール的、対位的な声部の交錯がつながれ、印象的でシューマネスクな3連音符のカノン風左右旋律交代が顔を出す。
曲集最終部のこの辺りには、殊にこうしたバッハ的な作品が並ぶ。

 

 

2003年01月31日(金)〜 02月01日 (土)

40「小さなフーガ」…
冒頭の「メロディ」「小曲」「ハミング」などが基になっている。また(短調ではあるが16「小さな悲しみ」)、17「朝の散歩をする子供」、13「愛らしい五月よ」、24「刈り入れの歌」、(短調ではあるが27「カノン形式の歌」)などが清楚に、周到に、その変奏曲としてそれぞれ自存しつつ、収斂されている。
それらすべてがこの曲の背後に隠れた変形モティフであると言える。
パウル・バドゥラ=スコダは、この曲がバッハ平均律第1巻19番fugaに似ていると言っている。が同時に、後期べートーヴェンP.ソナタに非常に近しいフレーズもみえ――典型的には、展開部9小節以降、殊に13〜16小節――、ともすると後期ソナタそのものの、或る断片を聞いているような気にもなってくる。
主題そのものがそうである上に、この曲はVORSPIELとそのFUGE、2つで1組の構成となっており(VORSPIEL自身も、今述べたようにバッハ的、及びベートーヴェン的対位法で出来ているが)、とくにFUGE部分は、まるごと非常に明澄かつ無碍自在な至高性にみちた後期ベートーヴェン的である事を踏まえる時、このごくささやかな作品の中には、バッハと、ベートーヴェン後期ソナタとが、すなわち旧約聖書と新約聖書とが、可能な限り端的な形で凝縮されている、という気がしてくる。それは殆ど凍りつくような至純さである。と同時にシューマンのいわゆるシューマネスクな透徹した幻想性、或いはまた諧謔の暗躍する曲想といったものが、いかにこうした厳格な礎にもとづいた上に築かれた個性であるかということとしても、あらためて首頷させられる気がする。

<VORSPIEL>
6小節〜9小節の左手(第2声部)はすでに開始の右手(第1声部)の厳格な単純フーガである。開始左手1〜2小節の縮小形に近いものが5小節目第1声部・7小節目第1声部に再現する。左(第3声部)3小節目の再現がほぼ8小節目(第2声部)。また同(左手1〜2小節)縮小形はすぐに次3〜4小節に現れるが、構造上その再現である展開部の始まり=9・10小節のそれぞれ後半にも、現れる(9小節から、第1小節―イハニホ=8345と第3小節―ロホハイ=7316の合成で「一」小節が出来上がる仕掛け。)が、展開部そのものの半小節ズレた掛け合いも交錯しつつ進行する。11小節は左右相互が転回形をなす。が、これは同時に左声部は第1小節(=主題開始部)の再現であり、また右声部は第4小節(=同様に11小節)での右第1声部の第2主題開始部の動きの、それぞれ同時並行的な再現である。休止符も音符に変換すればたゆみないフーガが展開している。この*休止符の効果が後半の<FUGE>に律動変化となって現れる。
*休止符の効果……例えば13小節の、冒頭16分休符はニ音(乃至,ヘ音)に置き換えられる。また5拍目休止符はハ音(乃至,ホ音)に置き換えられる。前者の場合は直前の小節の前半音型の繰り返しであり、後者の場合、7小節右第1声部に登場する主題(イハニホ)の変換形(トロホハ)と同型となる。

 

2003年02月02日 (日)

<FUGE>
<VORSPIEL>(2/4)を6/8拍子に変換した3声-3重フーガ。冒頭からrythmeと旋律が無重量・無窮動的であり天上的フーガであって、バッハを想わせる。またスタカートの導入は至極ベートーヴェン後期P.ソナタ風である。
開始後早々3小節目から(23小節よりVORSPIELが始まるので25小節目)、第2声部により掛け合いが始動するとともに、第1声部は応用された転回形に入る(VORSPIELの構造と同様)。
27小節後〜28小節前半に現れる第1,2声部の上下対称な動きは、33〜34小節に、より印象的なものとなって現れる、また39〜42、付点を想定しうる音符に置き換えれば53〜55小節などにも繰り返し現れる。この辺りの展開の仕方は後期ベートーヴェン的である。転調もVORSPIEL時より頻繁である。後半はA ={8部音符×3}とB ={8+16+16+8}、という交互のカノンめいた掛け合いのフーガが、左右声部で交代されつつ、同時に左右声部の上下対称(転回形)がめくるめく展べられる。
64〜小節以降コーダに於る左下降=第3声部は、FUGE 2小節目(=24小節)の音型の転回形である処(26小節を筆頭に現れる)の、拡大形である。この辺りも極めてバッハ的な処理である。

 

2003年02月03日 (月)

41「ノルウェーの歌」…
次42番「装飾されたコーラル」とともに、非常にオルガンに似つかわしい曲である。「…コラール」の方はそのまま通用するが、「ノルウェー」の方も、付点・10小節トリルなどを取り除いてしまえばその世界はすっかり厳粛なコラールである。左右がほぼ転回形をなしているし、9小節目からの左声部は開始の右声部(主旋律)の踏襲である(単純フーガ)。構造上同様に、9小節目からの右声部(主旋律の展開=ニ短→ハ短→イ短調)は、はじめの1小節は開始左声部(octv.)そのものであるし、この展開の際、開始時に主題に付随してきた和音(右内声部――ニハイイ、及びニハイハ)も、転調を果たす中でも出来る限り同右内声部(ニハイト、及びニハヘ #イ)へと尊重されている。

42「装飾されたコラール」…
ピアノで弾くと35「ミニョン」やアルペッジョを取り除いた32「シェヘラザーテ」のように奏でられもするだろうが、この曲想自身は殆どオルガンのための半音階進行であるといってよい。重厚さ、厳粛さの中にロマンチシズムがすでに潜むのである。それは殆ど先験的に、といってもよいほどの霊妙さである。バッハに於てすら同じであった…。最高度に禁欲的で、黙秘的な音楽の中にさえ見出しうるロマンティシズム。‘宗教的’荘厳さ・厳格さの中にさえ潜むロマンティシズム…。そういったものが、有るのである。それは、人びとが目に見えぬものに向かって「どのように(How)」と問うばかりでなく「何故(why)」と問うことを止めぬかぎり、おそらくいつの時代からも、いつの時代にも、付きまとうものである…。
そうして、シューマンのロマンティシズムといったものも、エッセンスとしては同じ根から生じている最も高度に純粋なものであったといえる。勿論そこに特有の精神の足かせや、両義性の辺境地帯のどちらにも属することの出来ぬ魂の鬱屈した憧れ、恋愛感情の吐露etcetc.といった錯綜する要素が入り込むにしても、である。

オルガンで弾かれるべき作品、というのは、この曲集の中でも、実はもっと前からある。
27「カノン形式の歌」辺りからは殆ど総てそうであると言っても可笑しくないか、むしろ相応しい。勿論tempo指定はもっとずっと遅いものに破られるべきであり、また16分以上の細かい音符はまとめて和音として扱われたり、スタカートを捨去されるべきかも知れないが、曲の構造(五線譜を横断する線と垂直の線の構造)として、本来オルガンに照応しそうなものが多い。シューマンがこの27番-短調の後に、この主旋律を上下ひっくり返し長調と化して28「想い出」を置いた時、*殆ど同時に最終曲43「おおみそか」の発露もあったであろう。

 

(※補記 2014-6年度に改めて気づいたこと この珠玉の小曲集は、メンデルスゾーンの存在とその死、またエリアElijahの印象 から出発しているのではないだろうか、と考え始める...。彼の死——冬11月——の翌年、1848年の作であるが。これについての補記的記事 link http://reicahier.jugem.jp/?eid=49

 


*「想い出」と「おおみそか」の間には、「朝の散歩」「刈り入れの歌」「田舎の歌」「ロンド」などが同様に伏在している。勿論「冬2」の殊に展開部(=25小節以降)、40「小さなフーガ」も、同じ根の変奏曲と捉えることができる。
いずれにしても、この二つ:「想い出」と「おおみそか」は、「カノン形式の歌」がきっかけで双子のようにつながれているし、「小さなコラール」も同様に縦横に走る糸のようにこれらをひとつにつないでいる――、これらは、殆ど受難曲中のコラールの伴奏のように、荘厳なオルガンの音となって再現されてよいだろう。そして「カノン形式の歌」以降の、殆どすべての曲がこうした厳粛さ、乃至静謐さを、湛えるものであるといえる…。

 

2003年02月04日 (火)

シューマンの音楽とオルガン

まったく対照的で、無縁のように思われがちかも知れないが…。これまで、シューマンの音楽は元来対位法に基づいて出来ているものが多いし、かなり半音階進行を駆使した音楽でもある、と述べてきているように、ピアノという楽器ならではの、暗躍的・跳梁的なスタカートやスタカーシモ、また脚かせのごとく行く手を阻みつつも、行進を鼓舞するような付点や休止符を除けば、そこに残るものは、厳格な対位法の音楽であるし、あるいは静謐なコラールである…。

オルガンに相応しい音楽である、という内声部のフレーズが主声部と同格なほどに独立自存する、という意味でもあってみれば、合唱および弦楽四重奏曲などにも適応できるであろう、ということである。
昨日、「カノン形式の歌」以降、オルガンに相応するような作品がつづくと綴ったが、27「カノン形式…」、29「見知らぬ人」、30「無題」や34「主題」、38「冬1」なども、オルガンもしくは弦楽四重奏に似つかわしい曲であると思われる。

大学のチャペルにあるオルガンで、一寸悪戯にクライスレリアーナを弾いてみたことがある。勿論tempo指定はかなり遅めにしたし、オルガンには無理のかかるスタカートなどは外して弾いてみたのである…。それはかなりの程度、オルガンに相応しい楽想だった。無論、クライスレリアーナはシューマンの作品の中でもとりわけピアニスティクな曲想の音楽だが、それにしては、第2曲のintermezzo1/2部、piu lento部、第4曲など荘厳であるし、トリルや付点を省いた第3曲はコラールめいていた。第6曲5小節辺りなどは殊にバッハ-ブゾーニのオルガンコラールでもあるかのようだった。

 

2003年02月07日 (金)

ユゲントアルバム――Album fur die JugentのCDは少ない。昔LP時代に、ワイセンベルグの弾いたユゲントアルバムを聞いていたが、CD化されたという話を耳にしない。仕方がないのでユゲントアルバムについて語る際、Edlinaという女流ピアニストのを聞いていたが、丁寧な演奏ではあるけれども「子供のための」という‘家庭的でぬくもりのある’領域などというものをまる切り越え出た神経や特有の両義的精神性の反映としてのあの曲集の側面を、満たしてくれる演奏でない、と思われるため、いつもその点の消化不良の感覚を抱いていた。
ワイセンベルクのは、ひどく<深みのある>演奏、というのではなかったかも知れないが、シューマンの音楽、殊にこの困難多き頃のそれらの持つ、或る種の緊迫感や精神の凍り付くような透明度というものは出ていた。あの演奏はCD化されてよいと思うし、さもなければもっと続々と超一流のピアニストがこの曲集に手を着けて欲しいと願うところである。

 

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2012年 9月9日-10月27日

※以下本文中の譜例や図解はclickで拡大できます(別窓)

 

東日本大震災後、私もつねにリュックに最小限の大事なものと非常用具を入れておくようになったが、そのなかにどうしても入れておきたい楽譜を3冊しのばせてある。おかげでひどく重くなってしまうのだが、これだけはどうしてもということで、バッハのフーガの技法――例外的に必要なもの――と、バッハ平均律第2巻、そしてシューマンのAlbum fur die Jugent(urtext)の3冊なのである。

耳の中でつねに鳴らしておきたい曲たちというのはもちろん、色々と別にあるわけだが、そのうちもっとも大事にしているのは、たとえばリヒテルや、幾つかはデミジェンコの響きによる平均律の第1巻とか、ベートーヴェンとシューマンのあらゆる音楽ということになってくる(他の音楽家たちの曲ももちろん入ってくる)。

まずバッハのことについていえば、ほんとうのところ、原発事故以後の政治不信がきわまった時、一時バッハの世界自体が聞けなくなりかけた。当時、自分の人生においてきわめて稀な期間に突入したと、自分でもいぶかしく思われた。まず以てバッハは、未完となった最後の作品を例外とすれば、ほぼ生涯の全作品において、語り部に徹していた。バッハの音楽には死がある。だからこそまた宇宙の秩序・生命秩序・摂理を、感じることが出来る。死から生へ、生から死への語りを含まない生命論はありえなく、とても正直なー真率なー黙示録であるとうことも、何度となく書いてきた。存在を語ることの報酬が自分自身(実存)に還ってくることを望まず、またとことん還って来ぬ仕組みになってもいるこの世の不条理――その痕跡・これへの実存の詰問として連打の刻印は、短調作品に於いてはことに、はっきり物語られているとは理解している――を知り尽くしながらも、その憤怒を作品の ‘表に起こす’ こともせず、そのぶんひたすら精励勤勉神のみに帰依し、つまりは生と死とがただ淡々と語られているわけだが、であるからこそ当時は、まさにそれ故にバッハを聞く事がむずかしくもなっていた。生と死のバランスの良さ、その認識の正しさこそがやりきれなくなったのである(これがバッハ自身のせいでも責任でもないことは重々承知しているにも拘わらず)…。これまではつねにまさに其と同じ理由から、誰よりもバッハを以てこそ精神の均衡を得ていたのに。繰り返すがバッハが淡々と語る死に、不条理の徴が刻まれていないというのではない。むしろ逆でさえあるが、それだけになおさら、結局はそうした不条理な死に黙々としたがって行くのだということに今は同意できない、と苦々しく思って居たのである。

丸山真男が、「日本の思想」の中でこんなことを言っている――『ここ〔日本のこと〕では、逆説が逆説として作用せず、アンチテーゼがテーゼとして受け取られ愛玩される。たとえば世界は不条理だという命題は、世はままならぬもの、という形で庶民の昔からの常識になっている。』と…。まさしくその、無常観に対する、絶対的首肯と吐気。当時の自分にとって最も受難なのは、自然の秩序に似せた<無常観を誰が蘇生させているか>という問題だった。そしてそれは同時に、こういう問題も提起してくるのだった。でなければバッハが全黙示録を、語り部としてのすべての予告を済ませた後、ベートーヴェンが何故あの全人生に渡る「喜劇」を――臨終の際「諸君 喜劇は終わった」と言ったとされる処のそれ(実際にそう言ったかどうかは別にしろ、あまりにリアリスティックではある)――演じなければならなかったのか。という…。私ががまんならないのは、死・悟り・滅度的場からの発語ではなかった。空智(己を包む促しに応じる自己の相)や実慧(空から世俗へ/空=涅槃に“住まわず”『受肉せる』空相から生死的世界への帰還の位相)から発語することでもない、そうではなく、この世は無常「なものである」<と言う主体>、否、むしろ言わせようとする主体が、装置が、ありつづけること、それが悟りとおなじ顔になりすましている事であった。

が、そんな折りにでも(逆説的に響くかも知れないが)フーガの技法だけはちがっていた。あそこには、バッハにはめずらしく――そしておそらく最初で最後であったと思うが――(神-摂理が主人公ではなく)己というものの出現、バッハ B-A-C-H 自身という存在への、語りがあった。勿論聞く側の私自身の生命力じたいがこのところずっと萎えていたので、それに耳を傾けるためには尋常ならざる気力と体力が要ったが、力を振り絞って聞いた暁には、むしろかけがえのない存在のよりどころとなっていたのである…。

原発事故以降の私にしてみれば、宗教(既存のそれにせよ、“倫理と不可分な相面”においてどうしても希求してしまう超越者にせよ)などというものをもはやまったく喪ったこんにちの実存にとって、その苦悩が、ただひたすら無名の個=実存自身に返されてくる空しさ、罰を受けるべき人間は野放図のまま、その状況を作り出してきた責任主体とは殆ど無関係な弱者や、そんな状況づくりに反対の声さえあげ続けてきた弱者までが制裁を受けるかのような、世の中の矛盾・逼塞、このどうしようもない出口の無さ、それらの虚無感をともに語ってくれる音楽として存りつづけてくれるフーガの技法…。それを「あえて聞くこと、聞かされること」の今の精神的な苦痛と負荷をすら越え、至高の芸術に寄り添ってもらわざるを得ない、そう言う存在であった。どうしても手放せない、それはいまでも変わらない――。

 

これとともに、実はベートーヴェンの存在が、原発以降はバッハと同等かそれ以上に増した。が彼の存在と音楽の意味はどちらかというと楽譜を持ち歩くより、耳の内外を問わず実際の音の運動としてじかに再生されること――たとえばちょうどグルダの弾くベートーヴェンが、楽譜から発生した、などという本末転倒な感じではおよそなく、そうした軌跡の在・不在とは無関係にはじめから自存し、駆動し、中空になまなましい運動を展開していくように聞こえるのに似ている――によるリアルな救いと悦びそのものがはるかに大きい…そういう寄り添いとして私とともにずっとある。(そういうわけで彼の作品は、リュックの中には入っていないが…体の中にずっとある。)

実際、この時代を生き抜くには相当の精神力がいる。状況から逃げずに、自分の幸福を実現するには並大抵でない耐久力と柔軟さが要求されてくる。人生の唐突な遮断もありうる。いつ終わるともしれない人生で明日があることを確信しこれを前提に出来ることを一つ一つ行う…毎日が神経戦である。これだけシビアな時代を生きてようやくなにか、稚拙な私の人生のなかでも、根からの「楽天的」人間の発語と、シビアな人間の、「意志」による窮極的「楽観主義」からの発語の、魂の位相における違いを、身に染みて痛感できるようになって来た。それとともに、ベートーヴェンの音楽の意味がまた1つ私のなかでおのずと大きく転換したのである。

ベートーヴェンの音楽とは、或意味に於いて、徹頭徹尾、いわば状況論的音楽である。だからどうしても等身大の音楽、などといった類のものからもっともかけ離れており、巨大だし、当然、くどくもある。それは敵の土俵で闘わないよう楔を打ち込み呼びかけるもののの入念さでもあるし、襲来する敵の執拗さ-老獪さと、そういうものを相手に運動を展開することのありとあらゆるむずかしさを知り尽くしたものの助言でもある。ベートーヴェンの音楽の場合、すでに澄明感――今あらためて痛く思う。この澄明さは悟性のそれである、と!――ほとばしるその初期から、自分(等身大)以上の何かと――往々にして自分以外の虐げられて人間のぶんまで――つねに格闘していた者の描き込む音楽特有の能動性と受動性があるのだが、その態度は、枯淡きわまる最晩年になっても変わらない。たしかにベートーヴェンは後期SQにおいてさえ――第一線をば退いたかに見えるとしても――隠居していない。悟達はあっても…。だから私自身、これらの音楽を聞きたい時けして耳-心を満たすために聞くのでない。生身の状況論として肉-心で聴く音楽であるし、今はますますそうなっている。

吉田秀和氏が全集のベートーヴェンの項の中で後期SQについて言っている。「この<感謝の歌>はきくものの感動を誘わないではおかないすばらしい音楽である。…それはこの音楽が彼岸性によって、私たちをかつてどんな器楽作品も啓示したことのないような浄らかな省察と祈りの世界にひきこむというだけではない。そこには、いいようのない痛烈な響き、ほとんど痛苦ともいってよいものできくものをつきさすような響きがある。この痛みは、<感謝の歌>が変奏されてでるにつれて、ますます痛切なものになる。」と。御意…。 これは病からの快癒、とされるところの病の痛みももちろんだろうが、魂は彼岸に置いてもなお、それまでの人生に於て、状況がべートーヴェンを突き刺し、これを受けとめ、ときには宙空にめくるめく銀河系のこちらへとめがけ来たりつつある運動から剥ぎ取るようにしてまで、ともに乗り越えていかねばならなかった数々のもの、また逆にベートーヴェンから人々へと状況に於いてあえて指刺したものの痛みの名残の、極限だろうと思う。

 


そうしてまた、もうひとつ、私にとってローベルト・シューマンのAlbum fur die Jugent(ユーゲントアルバム)は、――とりわけ長調作品に於て――バッハ平均律、ことに第2巻を聴く際に自分自身の中にわき起こる至純な天の喜悦をもたらし、ある酷似した…否、おなじ基底から醸成される雰囲気で心を満たし浄化させてくれるものなのであり、人生の長い間にわたり貴重な感動を与えてくれるものとなっている。この感覚は今でも変わらない。シューマンに於けるバッハの影響をしのばせる作品はあまたあるが、これは、精神的に――否 神経的に、稀な清冽さにかかわるアトモスフェールの醸成という意味において、とりわけなのである…。これは最初に綴っておきたい。

シューマン(Robert Alexander Schumann)の存在とは何だろうか…。そもそも己(他記事でも何度も繰り返してきたが、己とは基点即盲点である…)自身が、ほかならぬみづからの根源に遡れないという矛盾の苦悩が、人間存在にとって共通の基底であるのにもまして、時代状況がこんにちのようにあらゆる意味で不条理にみち、ひとの実人生を宙吊りにさらしたまま何ら受け皿のないものとなった現代社会に於ける、シューマンの存在とその音楽の持つ意味とは何だろうか。このひとの音楽のもつある種の病勢について慎重な態度を取る人々はもちろんいる。が私は、バッハの対位法に行き渡る格調や、ベートーヴェンの、いわば状況論的音楽における澄明な悟性の発達と運動展開を考えるとき、同時にまたこれを深く敬愛していたシューマンの、かれなりに誠実に展開していった奇矯さを含む運動の意味性、その切実さと、しばしば正像でない世界との関係の結び方、異他的なるものとの出合いとその組み込みの錯綜、自己同一性の分極と解離…などの病勢、ある種のいびつさが、逼塞する現代社会もたらす(逆説的に響くが)<救い>について、考えずには居られない――すなわち時代・社会・政治が、かろうじて己の足で立とうとしているひとつびとつのの主体を溶解させかねぬほど可塑的に過ぎ、危機にさらしすぎ、いびつであればあるほど、考えずには居られない…。

シューマンの音楽的意味と、その運動のもつ意味性…。誰か指揮者の言葉、シューマン以降という把捉があったが、たしかにその後の仏・露もしくは周縁的(スラブ,ユダヤ的)音楽展開を考えると、歌の意味――その発現/素朴な受肉(シューベルト)から、歌の充溢-錯綜-逸脱への至当な道のり(アラベスク・爛熟)、さらに歌からの幽体離脱=身体性の消失とこれ以降の飛沫化した身体が世界に対して恐らくもう一度問われるべきもの意味を、あらためて考える事が出来る。基点とは盲点であるという装置を音楽化したのはシューマンが最初で最後だった。直前(シューベルト)はその特殊な天才的脳の構造により基点即盲点として回転軸を音楽そのものに盛り込まない事にかろうじて成功した(歌としての完結)。が同時に矛盾する現在という通風孔と運動の二重性を失った(風通しの犠牲)。時-空性の渦の発生と脱中心化即再中心化の二重構造を実現するを以て形式を逸脱する(重複する身体;音楽的奇矯性の纏い)とは贅沢な矛盾である――。

 

が、……そうしたシューマンの全体像についてはまた何れ別の記事にて述べるとして、いまは至純な Album fur die Jugent の世界について、とりあえず綴っていこう。

上術の2003年当時の記事を書いた頃、私はシューマンのピアノ曲以外の他のジャンルを殆ど知らなかった。したがって、この op68 自身のなかでのテーマと展開の有機性や、カノン・フーガ様式など対位法駆使にみる、シューマンにとってのバッハ的なものとの連関と、せいぜい彼の他のピアノ作品とのつながり、潜在的-有機的連関性の持ち方としての類似点、などまでしか視野がとどかなかった。
がシューマンの他ジャンル作品にも徐々に触れる機会がふえた今、それらとの連関にも、少し触れたくなった。ピアノ曲というジャンル以外のシューマンの音楽のすばらしさ、またそこからさらに拡がる世界の奥深さに、開眼させてくれる、直接・間接の契機をくださったSNSなどでのみなさんとの出会いに、心から感謝したい。

つい先日(2012/09/02)、ミュージックバードというPCM放送で、このop68全曲が流れてきた。op68 が取り上げられること自身はもちろん、全曲紹介されるというのは、昨今でもおそらくいまだはなはだ機会の少ないことで、画期的だったのではないだろうか。片山杜秀氏の案内、リュバ・エドリーナ(私の2003年度記で言うEdlina)のピアノによって紹介されていた。
この機会を得たこともあり、これを契機に最近気づいたことを今日からすこしずつ綴ってみようと思う。
勿論普段でも、こんにちではフォルテピアノによるシュタイアーの演奏(抜粋)や、リコ・グルダ、そしてシューマンにたいする格別に精緻な愛情を感じ取れる、伊藤恵さんの演奏(これらは全曲収録)などによっても、折に触れてたのしむことのできる昨今となったことは大変ありがたい。
私の手持ちの録音はどれも、このツィクルスの無類の透明度と純粋さに対する驚嘆にも近い敬愛を読みとれる演奏であるが、とりわけ伊藤恵さんの、シューマンへのこの上ないいつくしみを感じとれるデリケートな演奏は、何度となく愛着をもって聞き返している。
またつい最近になって、この記事を書くために見つけたナクソス・ライブラリーのアレッサンドラ・アマーラ Alessandra Ammaraによる、ぬくもりと硬質さの均衡のとれたタッチからペダリングに至るまで繊細な注意を払われた演奏にも、満足している。(No37,38辺りの短調作品では、テンポがゆったりしすぎて、ここでのシューマンの、本質的に何か異様に張りつめるような空気――と私には、過去に自分で弾いてみても、最近みつけた幾つかの演奏に接したのちにも、どうしても思える――が出ていないのが悔やまれるが…。人生という時空の色々な相と意味とに於いて、楔を打ち込むことの必要性を、シューマンは子供たちにも示す必要があったのだろう、子供のためと銘打たれた同曲集にもかかわらず、彼があえて提示することを憚らなかった(?)、ことに短調作品の、スタッカーシモを指定する打鍵において放出される暗い激鋭と、一見これに相反するかのようにも聞こえる長調作品群の高い緊張感をおびた繊細さ、それらの物語る或る種の病勢を、ためらわず精鋭にまた高潔に、‘あえて’ 表出(がもちろんそれはホロヴィッツとはまた別の仕方で)させていた点などに於いて、如何せん、ワイセンベルクの収録がCDによって再現されることを、やはり切に望みたい…。)

 

ところで、この曲集を聞いてつくづく感じさせられるのは、シューマンがこれを “子供たちのために” 書きためた、というのはなるほどもっともな動機であったろうけれども、音楽ノート――結晶化した素描のアルバムとして、誰よりもかれ自身のために役立ったのではないかということである。知人に確かめていただいたところ、これは以外にも夏の間のほぼ一ヶ月たらずで書き上げられた作品である。
(1848年 8月30日 or 31日から 9月26日 で成立。私的な初演は 1948年 9月24日 の 午前 に 第12,13,23,33,35 ほかが演奏される。クラーラのピアノ。 久保文貴氏調べ)

にもかかわらず、手持ちのCDや、ネット上で数人の演奏を聞いてみても、四季を通じたテーマにわたり書かれたものたちの、すべてがまるで<冬の作品>であるかにきこえる、という印象は、不思議といまも変わらない…。
それはたぶん、何かこれ以上はみ出してはいけないものが、(繰り返すが)‘ 異様に高い緊張感 ’ をまとって、裂開手前、<かろうじて凝結>しているように聞こえるからである。
それらはなるほどみな、小曲としてこぢんまりとした形でまとめられてはいるが、室内楽に、歌曲に、またオルガン曲にもなり得たり、彼の特技である対位法を駆使したオーケストラ作品や――かれ自身がその後まだその気にさえなれば――オラトリオなど大曲へのデッサンとしても、きわめて有効だったに違いないと、感じずにはいられない…。
と同時にかれ自身がそれ以前に作曲しておいた諸作品の、エッセンスへと凍結させた記憶、いわば夏に生まれた氷のアルバムとして、こうして残しておかれることも、有意義であったのではないかという気がする。
そうして、もっと言ってしまえば、かれ自身を越え、後世の作曲家たちへのそこはかとない影響についても、考えさせられたりする…。

私には、この作品が(シューマンの他作品と同様に、また人によってはメンデルスゾーンなどとも織り合わされて、と、とりあえずは言っておこう)ブラームスはもちろんのこと、フォレやドビュッシー、ラヴェル、作曲家であっただけでなくオルガニストでもあったブルックナーや、チャイコフスキー、グリーク、マーラー、そしてセヴラック、ひいてはプーランクなどに、愛好されていたのではないかと思われてならない。

 

プーランク ピアノのための3つのノヴェレッテ
Poulenc - Trois Novelettes pour piano
http://www.youtube.com/watch?v=JuGpuhGuRlc

 

セヴラック
Severac - Ou l'on entend une veille boite a musique
http://www.youtube.com/watch?v=g1SOg6FRzmo&feature=relmfu

*Severacは同曲集(En vacances)の冒頭にて、RSchへの曲を書いている(シューマンへの祈り : Invocation a Schumann)。が、この事を知らなくても、あの無類の可愛らしさにつつまれた…boite a musiqueに、何某かのエッセンスの結晶化を聞きとるだけで、ピンと来る人は多いに違いない…。

 

ブルックナーに関してはもう、このアルバムに限らずとも、交響曲のジャンルを越え、シューマンのピアノ曲にもただならぬ思慕や関心を示していたであろうと思われる(しかもマーラーほどに屈折していない?、より素直な心と享受の仕方で)。それが誰にでもわかるよう最も端的に表層へ現わされた例としては、シューマン初期ピアノ作品、交響的エチュード Sinfonische Etuden Op13 - Etude 11 (Variation 11) - Andante espressivo に出現するソ♯-レ♯-ド♯-シ-ラ♯-ソ♯が、そのままブルックナーのSym4 WAB 104 Romantic ロマンティック のモティフ(ミ♭-シ♭-ラ♭-ソ-ファ-ミ♭)に、題名のとおり継承されていく――そしてそれはさらに若きマーラーの唯一の室内楽作品 Piano Quartet; A moll (ド-ソ-ファ-ミ-レ-ド)へと…。
とはいえこの背景ひとつをとってみても、その背後にはもっと複雑な事情が交錯しているのであり、シューマン-(ブラームス)-ブルックナー-マーラーの間をつなぐ単線としての問題ではなく、これ以前の作曲家を含むであろう、そうしてより複数の登場人物をまたぐであろう音楽の歴史、ないしその周囲の潜勢的要素が絡んで生じた旋律の交差点として、いくらか錯綜した事情を含んでいるといえようが…。
とまれ、この曲集に関しても、オルガンやコラール、ミサ的要素に通じるものがあまたあり、直接または間接に、ブルックナーの関心を惹いたものがあちこちにあったように思う。

さてまた逆に、シューマン自身の、この作品への作曲動機と結晶化のあり方についてはどうかといえば、バッハやベートーヴェン、そしてぬくもりのある――ただしこの「熱」に関しては、同曲集以降におけるシューマン自身の展開を考えても、白熱から次第に聖化された無熱に至ると言わざるをえない。このことは後述したい――宗教性をたたえる旋律の歌唱性においてはシューベルトと、のみならず、やはりメンデルスゾーンの、SQや宗教音楽など諸作品、そしてむろん、ことに無言歌集の存在なしには(少なくともこういう形では)ありえなかったのだろう。

 

今あらためて、このツィクルスをふり返る時点において、主に気づかされるのは、この中にピアノ協奏曲( Piano Conzerto Op54 )のエッセンス、及び楽園とペリ( Das Paradies und die Peri, Op50 )などへの追憶と残像が、あっさりと過ぎ去っていく時間とはもうひとつ別の意識の層において――つまり過去となることが躊躇われつねに反芻されつづける『現在』の記憶(?!)として――随所に見いだされるということだ。それにはもちろん、クラーラへの思いと、‘ 今は亡き ’ (1847'11月死去)メンデルスゾーンへの邂逅――まるでめまぐるしい四季の変化にみちたこの Op68 ツィクルス(1848作)<全体>が冬に聞こえるのはその性為なのだろうか…――の意味もあろう。その他室内楽の小品などを含めれば、色々と彷彿されいづるものがあろう…。

先ほど、近ごろシュタイアー( Andreas Staier )が、フォルテピアノでこの曲集から主なものを抜粋しバッハにつよく関連する他の重要な作品とともにCD化してくれたことに触れたが、これは大変貴重なことだ…。

であるがゆえになおさらのこと、ひと言だけ漏涙をゆるしてもらえば、短調作品として書き残された No27 カノン形式の歌(Kanonisches Liedchen)――それは冒頭主題1voiceの逆行形(もしくは3小節目)の或る変容として、次作品(No28 Erinnerrung)メンデルスゾーンとの想い出と、もちろん重ね合わされる――を、収録してくれた彼には、もうひとつ、「小さなフーガ」(Op68-No40 Kleine Fuge)を、Robert Schumann Hommage a Bach と銘打つのにおそらくより貴重なエフェクトとなりうるためにも、ぜひ収録してほしかったと思う。
なぜならこれ(No40 Kleine Fuge)は、平均律第2巻17番フーガ(Das wohltemperierte Clavier, 2 teil No17-fuge As-Dur ! BWV 886)の、いかにもシューマネスクな継承だからである。ただバッハのトーンより半音上げて展開している。

(↓譜例) BWV 886 -WTK- vol2 - no17, RSch - op68 - no40 Kleine Fuge


このことは私自身にとって、Rheinische(Sym3 Op97)の冒頭から出現するMotiveが同平均律2巻7番フーガ(Das wohltemperierte Clavier, 2 teil No7-fuge Es Dur BWV876)のシューマネスクな継承でありロマン派ならではの豊穣な変容への契機となりえた――これに至っては、シューマンは移調さえしていない…!――ことと、ほとんど同じくらいおおきな喜びなのだ。
しかもこの「小さなフーガ」(Op68-No40 Kleine Fuge)は、まずその最初の2音の上向跳躍とその暗示的背景に関して言えば、おそらく同BWV876 No7 fugeに拠っているのではないだろうか。(ラ→ミ、ミ→ラ…。そして断続的に――或るもう一つのものとは別の断片として――ド♯ファ♯ミ、のRSch=Bachのmotive。…そして、これらの進行する譜面の背後でにじむように鳴り響きつづけていたのがようやく顕れる、Rheinische-motive終結のレ♯ミ…=左手部。シューマニアーナの幻想的予感としては冒頭からすでにうっすら鳴り始めると言いたいが少なくとも4小節目に入った時点で鳴ってしまうのは明らかだろうと思う)

…こうしたことは、音楽に於いて、しばしば洋の東西、時代や様式を越えてあるように思われる。鳴らされる鳴らされないにかかわらず聞き手の中でつねにすでに鳴りつづける音の存在。たとえばマショー(Guillaume de Machaut)など中世の音楽に生じつづける通底的な音の聴取。あるいはアルヴォ・ペルト(Arvo Part)の「Cantus in memoriam Benjamin Britten」に於いて、もしもああした厳選されたタイミングで鳴らされることがなかったとしても(否一切消されたにしても)聞き手の側でおのずとそれが蘇生し連打されつづけることに、おそらく成功していたにちがいない鐘の音にも、似ている。私にとって、シューマン Op68-No40 KleineFugeというタブローのうえに、BWV876 No7 fugeを代表とする幾つかの平均律のmotiveを入れ子状にしながら、Rheinische-motiveが現働しつつあるとき、すでに同motive終結のレ♯ミがすでににじむように鳴っている、というのは、こうした作用ともある意味よく似た、音楽のなかにしばしば生じる、根源的・必然的な何ものかである…。


シューマンはじっさい、この小さなフーガの覚え書きの2年後、憧れの BWV876-fuge 継承の、念願を果たす…。――と私には感じられてならない、これをシューマンは愛しつづけていたに違いないと――(ただし Rheinische-nr1 にては、motive第2音をoctv下げるという捻技を以て)

もしも、シューマンの中で、Bach平均律2巻7番と17番のFugeが、霊的にちかしい天上的響きとこれらのフェーズに特有の或る典雅なセンスをおびて私の中でのそれと同じように鳴っていたとしたら、重なり合うようなイメージで鳴っていたとしたら!――と心躍るのだが…。

また、ここ Op68-No40 での左手(Voice3,4)のみの動きをみると、平均律第1巻 No4 Fuge BWV849 (7-11小節 Voice1)のにじみが同時にちらつく。( このことは同集 No27 Kanonisches Liedchen にも通じる。ただここ= No40 Kleine Fuga では、No27 Kanon…への投影と較べれば、より陽気にではあるが。)そうしてこの霊玄的旋律(BWV849系)に関して言えばのちに独立・分岐して、Rheinische-「nr4」motive へと至るのだ。ただし Bach-BWV849 Fuge のもともと帯びる幽玄さばかりではなく、Beethoven Sym3 Eroica-nr2 葬送 のあの悲壮さをも、どことなく加味しながら…。(同系の旋律は、シューマン自身の前年=1847作 Pトリオ Op63 開始 にもちらりと予告されているのだが)こうしたほの暗い半音階上下進行の仕様の霊玄さは Faure(Op48-2 Offertorium )などに受け継がれていくと、もちろんいえるのだろう。

(↓譜例)RSch op68-40 Kleine Fuge → BWV876 → RSch op97 Rheinische

(↓譜例)BWV849,BWV876, RSch op68 no 27 Kanonische → no 40 Kleine Fuge

(↓譜例)BWV849(wtk1_4)-BWV876,886(wtk2_7 & 2_17) - RSch op97 Rheinische 図解

 

ところで再び話は戻り RSch-Op68 No40 Kleine Fuge 自身についてだけれど、この冒頭音(アウフタクト)と、2小節の1,3,4番目の音を抜いてあとのすべてを繋ぎ、(ここまでで ミド♯ファ♯↑シドレ ――注)シューマンと同じ A-dur イ長調 に移行して言っている)3小節の3,4番目の音を抜いた音を繋ぐと(ここで ミ↑ミ↓ラシド…)、No17-fuga BWV 886、あの天上的な旋律線が形成される。

☆☆こんなふうに言葉で綴ると理屈っぽくて、ほとんど恣意的にすら感じられてしまうかもしれないのだがこれはもう、まるでそう打ち明けられているかのようにそこはかとなく感じとれるというより、仕様がない…。――これがシューマンのバッハに対する深い敬愛でなくていったい何だろう?
おそらく…それはこういうことらしい。たとえば平均律第2巻17番フーガ(Das wohltemperierte Clavier, 2 teil No17-fuge As-Dur BWV 886)の最初の三音の“跳躍”は、まさにそのただなかで、その直後の、全音階でまったく飛躍-省略されることなく、踏刻――ともに上昇階段のみが、バッハでは二回・シューマンでは三回にわたり(※その逆は省略される)――されてゆく4つの音の階段を、はからずも想起させる。この2つの面は、別々に存在するのでなく、むしろひとつの事象=表裏一体、である。言葉をかえると、顕現する現在と潜隠する現在との相違である。
バッハが無数の音の連なりから、ひとつの跳躍する現在を、選び取るその瞬間に、その 徴/超過 が代表{的現在}として顕現しつつ、その超過の余韻として呼び込まれる、裏に連なる軌跡を持続的に想起(=上昇階段)させ、かわりに他の連なりは 痕跡/潜{伏する現}在 化し、他へのもしくは未来への実現可能性へと入れ子状に退く(下降階段)が、それはもちろんこれ切り「完く忘却」されてしまうわけではない…。

http://www.youtube.com/watch?v=f2D_QVJ0RK4 BWV 886 prel/fuge

 

シューマンも同じ体験をしてはいないだろうか。

(↓譜例)BWV876,886,RSch op68-no40 図解:KleineFuga-no40&BACH-WTK

↑(シューマンの中で、平均律クラヴィアが入れ子状に鳴っている気がしてならない潜在意識を自分なりに探ってみる…※音価は無効にしてください)

(※どうもシューマンに於いてはバッハの対位法の、非同期に 順次起動していく 或る 1voice を抽出し、別の作品と交錯させたり、シューマン自身の中で別の対位法を組むきっかけとなることが、まま有るような気がしてならない。このことは、バッハとその対位法に限らず、モーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーンらの諸旋律への態度にも通じるかも知れない。)

 

ましてや、基となる(?)バッハ自身が、No17 fuge BWV 886と、No7 fuge BWV876とを、多くの可能態のうちの1として、頭の中でひとつの連関性のもとに入れ子状に組合わせて考えていたとすればなおさらである…(もっというと、BWV 888、まさしく「A-dur」のprel&fuge ――モチーフの冒頭というよりはその後半――も、入れ子となってシューマンの Kleine Fuge ――その冒頭よりはそれ以後の展開(?)――に間接的影響を与えていないだろうか?? またひょっとすると後述する No13 Mai,lieber Mai のmotive背景――これも冒頭よりはそれ以後――にも、より濃く?)

さらに No17 fuge BWV 886 - No7 fuge BWV876 関係についていえば、ベートーヴェン後期Pソナタ Op110(1楽章、とくに4楽章)が重なる。ここでのベートーヴェンの場合、加えてNo23 fuge BWV 892も同居しているように聞こえるが。

(No40 Kleine Fugeにおける)シューマンの耳にはどうだったろうか。そこはかとなく重なっても聞こえるのだが…。

 

またこの No17-fuga BWV 886 は、同番prelともちろん連関性がある。またその連関は、シューマンの Op68 No40 Kleine Fuge にも投影している。
そしてこの投影は、前出のカノン-No27 Kanonisches Liedchen にも当て嵌まる…!
Op68-No40とNo27とは、すこし離れて置かれているが、色々な意味に於いて切り離せないように思われる。

Kleine Fuge ――じっさいシューマン自身におけるこの小品も、天使の喜悦にみちたお喋りの零れ落ち転戯してできた氷菓子のようである。
この無辜の喜悦とおなじ基いは、逆に短調でもっとゆったりとした哀しい上下向線をたどる「カノン形式の歌」(No27 Kanonisches Liedchen)の、陽化された転回形として、先術した「愛らしい五月よ」(No13 Mai,lieber Mai)にも、より地に足をつけた形で、降りている。

この Mai,lieber Mai(No13)と、Kleine Fuge(No40)との直接的な関係でいえば、音の順序の組み替えで成り立つともいえるだろう――ちなみにこれ(No13)と同じ調性にあたる平均律2巻は No9-fuge BWV878 であり、この調べ=Eも、より地上に近づく感はあるがやはり天上的で清冽な至福さをかもす…。実際バッハの同調性 BWV878 Fuge の、飛躍することなくひたすら主音〜属音の周縁を纏巡るmotiveとその展開(=ミ/ファ♯/ラ/ソ♯/ファ♯/ミ→ミ/ファ♯/ラ/ソ♯/ファ♯/ファ)は、No13 Mai,lieber Mai の冒頭左手部にその全く同じ要素の投影として生かされている(=ミ/ソ♯/ラ/ソ♯/ファ/ファ♯ これは2小節目-に登場する左手部の開始であるが、ちなみに Kleine Fuge の左手部3小節目=開始の次和音と同型)。

 

(↓譜例) BWV878 Bach WTK vol2-no9=Edur - RSch op68-no13=Edur / op68-no40

このアルバムの冒頭「音楽の座右銘」にて、シューマンは子どもらに、平均律を日々の糧とするように、と書いている。

 

この(No13 Mai,lieber Mai)の基をなしている歌うようなメロディライン自身は、短調にすれば「お芝居の想い出」(No25 Nachlange aus dem Theater) に容易に変転する。No16,28,26 などは直接性はないがおそらく作曲家の機転しだいではそれに準じるのだろう。こと2小節目に関しては楽しき農夫 (No10 Frohlicher Landmann)の、4小節目-左手の組み替えともとれる。etcetc..

 

ところでNo40 Kleine Fuge 小さいフーガに話を戻すと、この天使のような小品にこっそり顔を出すのは、バッハ風の天上的典雅さだけではなく、同時にきわめてシューマネスクな戯れでもあるところが、私にはいっそう味わい深い…。

というのも、先ほどとは別の選択、つまり2小節目に注目し、その頭の音だけ取り去り、組みかえを1音ずつ後ろにずらし、適宜所どころの音譜を半音移し3小節目の頭音までたどると、ほぼOp54(Piano Conzerto)第2楽章が顔を出す。

 

http://ml.naxos.jp/work/108008
SCHUMANN, R: Piano Concerto Op54 (ギーゼキング/ベーム/シュターツカペレドレスデン) Nr2 冒頭 00:00-00:06 / (04:19-04:23)

*ド♯レミファ♯・シド♯レミ…(Op68-No40)→ ラシ♭ドレ・ソラシ♭ド (Op54)/(あるいはド♯レミファ・シ♭シド♯レ)(Op54)。

 

(↓譜例) RSch op54-nr2 - op68-no40

ラシ♭ドレ・ソラシ♭ド――その後のラソファに当たる部分は、音価の等しい処には見あたらないが、同3小節後半の上昇をかりに下降させておこう…。と次が現れる。ファーレシソラソ・ソ↑ーミド…(上記naxos Op54 Nr 2 - 00:07-00:12)。これは、同フーガ(No40 Kleine Fuge)にではない、No30(Non Title:無題)に――これも直接的なものではないが、そのたゆたうような心情、着地点をさがしたいが降りるに降りられぬ、といった感じのぼんやりとした旋律の名残が――見いだされる。
ピアノコンチェルト Op54 に現れる左手分散和音が、右手の旋律線自身に登場してはいるが、なんとなく暗示的である…。
がここは、聞きようによってはOp54-2楽章から3楽章へ移るさいのド♯-シラ・ド♯-シラ、あの淡くただようクララへの連呼ともとれる?…。

 

補記 Op68では、全体に、タイトルのないものやあいまいなものに於て、つまり No34(Thema)と 3つの題名のない作品(No21,26,30)――どれも B-A-C-H の演習であるが――に、共通している、浮遊感 / 着地点のないもどかしさ は、ピアコン第2楽章の雰囲気にみな、なにがしか通じていくものがある。

こうした表情は、No22 Rundgesang にも見いだされる。この作品の5〜6小節の3度飛びに下降するとおもえばoctv跳ねあがってはまた繰り返す音の描線に、それを彷彿させられる。
(もっともこの作品 Rundgesangは、Op54 Piano Conterto 主題ドシラの連呼の部分の投影にも感じられるし、2小節目の後半の3音を手前に持ってきて移調すると、Op54第1楽章冒頭ドシラ-ラシド-ミレド-、もう一度同じものを踏めば(ド)シ-シ♭ラ-ラ↑というのに近づくとか、同じ3小節目後半から5小節目頭までの線をミレド-ドシシ♭-ラ-ラ↑、とoctv上に飛ぶ音まで垣間見るような気もする。

また先の最後5小節頭の前打音付octv上昇音を手前に持ってきて――ミファミレ♯-ミ-のtrは無視し――3小節目後半の先と同じ旋律に戻ればソ-ファ-ミレ-ドシ(ラ)…など、柔らかい上下向からoctv跳ねあがる情熱のベクトルはほのかに聞こえてくるなど。まぁなににせよ、彷彿とさせるものまで語ろうとすれば、枚挙にいとまはなくなるだろうが…。?)
さて、その次からの暗い情熱のうごめく短調部分――Op54のことを言っている――は、この Op68 ツィクルスの短調に於てはとくに<どれ>とも見あたらない気がするが、それでいてどれにも見出せるような気もする。それは同集のほとんどすべての短調作品の背後とか、基底にうごめく、何か共通の地下に通ずるエッセンスであろう。またメンデルスゾーンの無言歌集の諸曲から来る何ものかでもあろう。
シューマンに於ける短調は、長-短調の境域を彷徨するようなものでなければ逆に、しばしばアタッカーやスタッカーシモなど穿鋭な打鍵――シューマンの短調におけるアタッカーには、無意識の通風坑からふいに劈くように、自我へと上昇してくる超絶的な覚(リアライズ)がある。もしくはそこからさらに覚の覚(リアライズから一歩さがった、状況に対する意味付与。とはいえ、これが本来のバッハ的-東洋無的な悟境の位相ではけしてなく、また悟性の澄明さという強靱な健常性の担保されたベートーヴェン的運動体のままでもなく、“ 狭歪された世界 ” という病勢をまとった位相で行われる、というのがまさしくシューマンらしさなのであるが)を異常な鋭さで呼び醒まそうとする、常軌を逸した穿坑音が、或いはまた、アラベスクやクライスレリアーナに代表されるような、或る種執拗な吃撥音(ずれ)がある。これらはしばしば之を以てまさに狂気を表意するとともにその狂気から自己自身を救出してもいるように思われる――の似つかわしい、暗い情熱の迸るものとなり、そうした曲調は、子供のためのこのツィクルスのあちこちにも散りばめられている(No23 騎手 No36 イタリア水夫の歌など)。が、どちらかと言えばその暗さにもまだ救いのある領域のものも有り、あえてその代表格をこの “ 子供のため ” と銘打たれた曲集の中に求めれば、やはり救済と明るみを見い出しえたかわりに、代償としての苦悩をも呈する、といった意味に於て、Op54に近い雰囲気の萌芽ををたたえた、No19小さなロマンスや ということになるだろうか。

 

話が飛んでしまった…。Op54の「2楽章」を思い起こす、というところに話を戻すと――ファーレシソラソ・ソ↑ーミド…――これらは No30 または No22 をなんとなく想起すると言った――、そのあとのドド♯レシ♭-ラドシ♭ソ(-レ・ミ・ファ)(上記ナクソス Op54 Nr2- 00:12-00:17)、ここには殆どぴったりのがあるのだ…。前半だけのはNo26( Non Title 無題 )の冒頭に浮遊している――ここではドド♯レラ↓ドシ♭ラソ(ファ-ミレ…)になっているが――。後半ラドシ♭ソ-レ・ミ・ファ、だけの部分、はもうひとつある。また小さなフーガ Kleine Fuge に戻ると、5小節目(最後の音譜は除く)の暗示性はそれである。とりあえずこれが帰着点となる。


(↓譜例) RSch op_68-no40 &-no26 - op54-nr2

ばらばらの場所に、残り火のようにして、Op54の記憶の断片が無造作に置かれている。無辜の結晶のような子供のためのアルバムは、やはりクララの灯火なしにはありえない。

小さなフーガ(Op68 No40)については、そのより小刻みにした変容を Op56-第1曲 にも聞く。(もちろん、Op68 No1 Melodie ――この想像力の直接的エサンスは、メンデルスゾーン無言歌集の第2曲目を想起させられる――と No3 Humming、No5 Stuckchen といった三つ子のような3作が、やはり基になっているのではないだろうか。)と同時にこれらの遠い背景には平均律第1巻-prel-1、また2巻のprel-1を、殆ど不可分に考えないわけにはいかない。また森の情景Op82-5曲目なども予告させられる。

 

カノン形式の歌(No27 Kanonisches Liedehen)について、少し触れておきたい。もう一度言うが A.Staier がこの曲をバッハへのオマージュ(Schumann Hommage a Bach)を顕すひとつとして扱ってくれていることに感謝したい。
短調のこの曲のMotiveは、半音階進行を取り去り音階を移せばそのまま終曲(No43 Silverterlied:おおみそか)へと化身する――もちろん、No43 おおみそか のほうが対位法の駆使の仕方もまるで荘厳ミサ曲のなかのひとつのように重厚であり、かつ全音階支配のため、厳粛に聖化される。ア・カペラで唱われてもオルガンで奏でられても美しいはずだ――。
が No27 カノン形式…のほうは半音階が混入しているぶん、たゆたうように哀しげであり、やり場のないシニフィアンとしての情熱の余韻すら、感じさせる。
対位法駆使による完成度の高い作品にしてはやり切れない/わり切れない(aliquant)この歌は、よく耳を澄ますとやはりOp54の仄ぐらい情熱のうごめきに似る。一部、小節ごと組みかえると――つまり1(2)〜7小節までのうち、3小節目と4小節目の順を入れかえる――Op54のアンニュイな部分

(↓譜例 ソ♯ラシ-レドシラ-ラ・ソ♯, http://ml.naxos.jp/work/108008 op54-nr1 11:16-)の音の軌道とそのリフレインに、ほぼ乗るといってよい。(Op16 Kreisleriana にも少し似るが…。)

 

またこの部分とは別に、13〜14小節の逆転によれば、坑穿的な打鍵の似つかわしいラ-ソファ-ミレ-ドシ-ラ http://ml.naxos.jp/work/108008(op54-nr1 11:55-)も浮上する…。

 

 →次記事へつづく

 

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