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表現=知覚性の反映、絵画における聴覚
絵画の場合、感覚を視覚へと収斂させていくことで、聴覚部分の反映が或程度犠牲とされるかにみえる。が、じつはそれは聴覚的世界さえもが視覚的世界へと能弁に転化されることによる特有の静謐さが成就し、画面を支配する結果ともいえる。そのため鑑賞者はその絵に立ち会ったまま―コローの描く森に響く鳥の囀りや、またフェルメールの描く部屋の女性の持つ幽かな金属音に―思わず耳を傾けるほどだ。かと思えば、逆に雑踏や人々のざわめきなどを最大限活かした視覚世界を、享受することもある―マネのバーの絵の中で、溶け込むような人々の会話とあちこちで鳴るグラスの音とをともに愉しむように―。が、ファン・ゴッホの絵の場合、明らかに外界から遮断される、否、描き手自身が外界から遮断されている場合がある。(そして彼の切り落としたのは耳だ。)
| Rei八ヶ岳高原2 | 17:52 | comments(0) | trackbacks(0) | twitter-reiのHOME | - | - |
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