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FSchubert D944(Beethoven symNR9 / symNR3 Eroica etc...)

FBノートから。2012年3月6日 15:52

 

 

主体に脱自を遂げさせ解放させて行くところの動力が、ほかならぬ脱自を強いる情況をまさしく生み出している処の動力である、ということを物語る芸術作品。


言い換えると、表の側面としては、近代化を離れ労苦を伴う自然回帰の物語性を帯びると同時に芸術家の主体を救う開放感と快癒にみちる、という一連の背景にある時代性とその動態として暗(裏)に表出する切迫感や畏怖を、同時に能弁に物語る作品を、同一主体がまさしく生み出しうること、であるとも言える。

 

もちろん表現のスタイルによって、表の側面が強調され、裏はあまり物語られない場合もあるし、背景を強調することに重きが置かれる場合もあると思われる。そのため鑑賞者の針の置き方によって印象が多分に異なりやすくもある。


しばしば個を超えて芸術作品を貫通する運動体。ある芸術家と他の同じ文明下を生きた芸術家、他者同士の身体・精神リズムにも通じるもの。そのもといは両者の抵抗した生を取り巻きはじめ、また苦しめていたところの当のピストン運動である。


芸術家a、b自身のシチュエーション&ロケーションとしてはある側面からは脱文明社会なはずであるのに、その彼をして解放していく動力、ほぼ陽化した執拗なる反復運動の動機そのものが同文明のピストン運動であ(りつつあ)るという自己矛盾と、解放=死を、或種切迫感すら帯びた律動に感じ取れるのである。

 

それ以降、芸術家を支える動機は、死の影を含め、また高貴なる欲動とその成就、昇華という一連を支えるピストン運動それ自身が、上下運動から回転運動への転化のきざしを、より迅速さを増す形で含んでいく。

この律動それ自身に揺り動かされつつ同時にここから脱自されるものとしての。つまり純化されたタナトスの相面の、トポロジックな転換があり、聖化された魔の彷徨(辻音楽師の語りと閉じ——歌)から、生身の他者への献呈へと通じる。

 

 

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FB,FBノート 具体例を提示しつつ述べるver

2012年3月6日 15:52

 

シューベルトのグレイト(シンフォニー第8or番9とも言われるD944)は、主体に脱自を遂げさせ解放させて行くところの動力が、ほかならぬ脱自を強いている処の情況を生み出している処の動力である、ということを物語る、不思議な大曲である。

言い換えると、表の側面としては、作曲家が、都会化・近代化していく場所(ウィーン)を離れ、広大で峻厳なる山岳風景の懐に抱かれ、また登山し、苦労のすえに解放――歓喜と療養の安息――を得るという物語性を帯びていると同時に、こうして作曲家の主体を救う開放感の背景にある時代性とその動態として暗に表出する切迫感や畏怖を、同時に能弁に物語る大曲である、とも言えよう。もちろん、指揮や演奏スタイルによって、表の側面が強調され、裏はあまり物語られない場合もあるし、背景を強調することに重きが置かれる場合もあると思われる。そのため、指揮者の棒の振り方によって印象が多分に異なりやすい音楽のひとつとも、言えるのではないか。

 

このことを換言することにもなるが、グレイトについてこういう言い方も出来るかも知れない。つまり、グレイトとは、シューベルトとしては最大限にベートーヴェン的なモチーフ、もっと直接的に言えばベートーヴェンの第九のモチーフとその基となるよく似た動態から出来上がっている音楽だと言える。典型的には4楽章などの一部にベートーヴェン第九に生き写しのフレーズが出てくる、と言えるばかりでなく、そもそもベートーヴェンの第九のモチーフから、その全体が出来上がっている音楽だと言える言い方も出来よう。

曲の印象としても、シューベルトが、シューベルトらしさをシンフォニーという形にようやく結実せしめた最初で最後の作品であるとともに、最大限にベートーヴェン的バックグラウンドをも有するという独得の両義性を帯びた大曲であると思う。

 

上述したことをもう少し詳細に述べると、たとえばこの大作においてもっともベートーヴェン第九を彷彿させる箇所は、

第九-4… ド#ド#レミミレド#シララシド#ド#ーシシ ド#ド#レミミレド#シララシド#シーララ

 

グレイト-4… ミーレド#ド#レド#シラー(シド#ド#ーシ)

であると思うが、

グレイトには以下のような旋律が頻繁に出現する

ラーミレド#シラ/ミーレド#(ド#レド#)シラ/ラー(ファ#)ミ(ド#レ)ド#シ(←コーダ)など

 

※いわばグレイト4全体が第九-4でできているといってよい。

 

このことは、ベートーヴェン-シューベルト-シューマン-ブラームス-ブルックナーへと繫がるある線を想わせる。このことは別記事で述べることにし、今回は以下の点に絞って簡潔にまとめたい。

 

グレイトを貫通する運動体、わけても1楽章ととくに4楽章に顕著な動態について。これはまた、ベートーヴェンの第九-4楽章歓喜モティフのリズムにも通じた、もといは近代的な(ベートーヴェン、シューベルトの生を取り巻きはじめ、また苦しめていたところの)ピストン運動である。

 

シューベルト自身のシチュエーション&ロケーションとしては脱-都会のはずなのに、彼を解放していく動力、ほぼ陽化した反復揺振運動そのものが産業化社会のピストン運動であ(りつつあ)るという自己矛盾と、解放=死を、或種切迫感すら帯びた指揮に感じ取れるのである。

 

他方、グレイトというのはこうもいえる。グレイトの影響を受けてはじめてオーケストラの着想を得、また実際着手できたシューマン。彼の視点から言い換えると、シューマンはグレイトを以てはじめてシンフォニーを着想できるとともに(私が思うところほぼかれ自身の中の歌曲の発現と同時的であり、音楽史的な事実からは歌曲の方が先に書かれたが、その基となる発想は同じ処から由来しているといえるところがある)歌曲をも着想し得た。

シューマンの春と献呈についていうと、春op38はグレイトとアヴェマリアと死と乙女、という素因の綜合から成る所が大きい。他方献呈はアヴェマリアにのせた死と乙女の高貴なる欲動とその成就であり、アヴェマリア(昇華/至純)化された死の影の強迫的な<揺動する緩い反復運動>ともいえる。このことを以てしても、

グレイトという後世への予言にみちたこの大曲自身も、アヴェマリアとゆったりした死と乙女(のほぼ陽化された反復揺振運動)から出来ている相面が多分にあると思われる。もちろん同時に脱都会的運動も、ここにはあるが、つまり一見矛盾するようではあるが、脱近代/脱産業革命という相面(近代/産業革命としてのピストン運動――それは上下運動から回転運動への転化のきざしを含む――のリズムそれ自身に揺り動かされつつ同時にここから脱自されるものとしての)という重要な要素が、これとともにあるのだが、その述解はまたの機会に置いておくとして、ザ・グレイトがアヴェマリア的揺誘+緩い 死と乙女 の(ほぼ陽化された)反復揺振とから生じる極めて純化されたタナトスの相面を持つように、RSchの春と献呈も、この点で同じである、と言ってみる。春op38はグレイトとアヴェマリアと死と乙女、という素因の綜合から成る所が大きい。献呈はアヴェマリアにのせた死と乙女の高貴なる欲動とその成就であり、アヴェマリア(昇華/至純)化された死の影の反復運動ともいえる。

ex) クーベリック グレイト

http://ml.naxos.jp/work/425806

 

ピストン運動、蒸気機関車(典型)

H.C.ロンビュー: コペンハーゲン蒸気機関車のギャロップ。ドヴォルザークのエピソード。

 

 

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産業革命規定…18-19c

紡績機から。主なこと1733 1764 1769蒸気機関車イギリス 1830年〜(実用化 産業革命)http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/resume027.html  

 

おもしろいのは、蒸気機関車の実用化はいち早いイギリスでさえ1830年(蒸気機関車の発明は産業革命(第1次)の最後期なのである)だけれども、蒸気機関車以外の産業革命のリズムは、その時代に生きていた人間たちの体の中にもすでに通っていたわけで、(ヤンチャッチャッチャ、タタタータ・タタタータ、金管のパパパパパパ…など)  蒸気機関車に乗ることの無かったシューベルトの体にも、紡績機や紡績工場の環境音や製鉄、他の機械装置のリズムなどは通っていたし、機関車以外の他の蒸気機関のリズムには接していたと、大いに考え得ることだ。 

 

<※cf) ベートーヴェンも時代が重なるが、ベートーヴェンのリズムにはヤンチャッチャッチャの他に、ンチャーチャーチャーチャー、ンパーパーパーパーとか、ヤンン・パ・パッパッなど無意識が吸収した律動を意志から意識へと移行(審級)する、溜めのある動力、反省介在的動力が感じられやすいのに対し、シューベルトのほうが外界から無意識に得ている動態がそのままリズムとなって表出している面が多いと思われる>

 

蒸気船は微妙か?

 

フルトン、蒸気船の実験に成功1807/ミシシッピ川で蒸気船による初の川下り1811 /蒸気船が初の大西洋横断1819 /ネッカー川の水運が再び隆盛を見せるのは1878年のKettenschlepperei (「鎖による牽引の時代」)の始まりによってである。マンハイムとハイルブロンの間115kmを蒸気船が小舟を牽引してさかのぼることで、馬に引かせて5日から8日かかっていた行程を2、3日に短縮することができたのである。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%B7%9D) 

 

ターナー(絵画) 

http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/resume027.html

「1844年、イギリスの画家ターナーは、「雨、蒸気、速度」という題名の絵を描きました。その絵は、実用化されて間もない蒸気機関車を幻想的に描いたものでした。19世紀に発明された鉄道は、人びとに大きな変化をもたらすこととなりました。 スティーヴンソンによって実用化された蒸気機関車は、1830年、イギリスの綿工業都市マンチェスターと港湾都市リヴァプールの間を結びました。鉄道は、大量の貨物と旅客を高速で運ぶことができたため、イギリス国内には急速に鉄道網が整備されていきました。蒸気機関を利用する船も、19世紀の初めに、アメリカ人フルトンが実用化しました。そして、19世紀の半ばには蒸気船が普及しました。」   

 

ピストン運動蒸気機関  グレイト…蒸気圧の往復運動。CF)往復運動→回転運動への転換(1769、ワット)点?  ピストン運動 https://goo.gl/rCWQXi

「シューベルト、文化史」

https://goo.gl/UQQK7R

「ベートーヴェンが生きた時代」

http://www.beethovenmaster.com/beethovenmaster/15sekai/sekai.html

「ベートーベンの生まれた1770年前後は、世界が大きく変わる予感にあふれた時期であったといえます。1769年にジェームス・ワットが実用的な蒸気機関を開発し、産業革命の気運が高まりつつありました。その一方で、資本家と労働者の格差は広がりつつありました。」  

ベートーヴェンがオーケストラを拡大していったことと、産業革命が勃発-発展していったこととは無関係ではない。空間性から、リズムから。それに対する(格差社会の発生)反骨精神(解決的悟性、動機-展開-解決のスタイル)とも合わせて。  

 

「オーケストラの歴史」

http://tuhan-shop.net/classic/kikou/ki-kisotishiki-rekishi.html

「弦楽合奏に管楽器の加わった管弦楽(オーケストラ)は、バロック時代にオペラの伴奏として、弦楽合奏の補強のためにオーボエやファゴットなどの木管楽器が加えられたのが始まりです。これはモンテヴェルディのオペラに初期の形態を見ることができます。  このころのオーケストラは、弦楽器を中心にフルート、オーボエ、トランペット、トロンボーンが加えられたものでした。その後バッハやヘンデルたちによってオラトリオやカンタータの伴奏としてもオペラ風の管弦楽が取り入れられて発展し、それが管弦楽独自のための音楽として合奏協奏曲や管弦楽組曲が生まれてきました。その後、金管楽器やティンパニなど加わって大規模になりました。  古典派時代には交響曲や協奏曲、オペラの伴奏として大いに発展し、コンサートホールでの演奏に適応して弦楽器を増やして大規模になり、またクラリネットなど新しい楽器が加わって現在のような形となりました。 」

 

 

モンテヴェルディ 1567-1643 彼のオペラにオーケストラの原型

バッハ 1685-1750            管弦楽としての発展

ヘンデル 1685-1759                同上

ベートーヴェン 1770-1827         現在のオーケストラの基礎    / 産業革命 

 

楽器に見出すとホルン 角笛からホルンへ ナチュラルホルン(ブラームスはあえて好む)

 

バルブの出現1814

バルブ ピストン式とロータリー式 上下運動から回転へ  

チューバ「18世紀半ばにイギリスから始まった産業革命により金属の加工技術が飛躍的に進歩すると、ホルンやトランペットなどで音高を変える仕組みとしてバルブが採り入れられ始めるが、こうした動きはやがて低音金管楽器にも波及した。 」

 

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クーベリックやフルトヴェングラーのグレイト!!

これらこそは、産業革命からナチス「the gate of "Arbeit macht frei"」への暗示性の極みである...。(Beethoven nr9 sym、nr3 sym Eroica deadmarch も同様)

 

クーベリックやフルトヴェングラーとある意味対極にある側(長年私自身のグレイトの印象もこうだった)

切迫感や畏怖(つまりこの開放感の背景にあるものとその動態)をあまり強調しない演奏

に共通する印象は、

都会(化していく場所)を離れ、大自然(山岳風景)の懐に抱かれ、登山し、苦労のすえに解放(歓喜と療養の安息)を得る感じ

 

ベーム/ウィーンフィル(手持ち)

ギュンター・ヴァンド/ミュンヘンフィル などもそちらの方向

(金管などをスタカート風に切らないで最大限にテヌートでのばす)

http://ml.naxos.jp/album/ph06014t.co/6IfWwwdO 

Gunter Wand / Munich Philharmonic Orchestra

 

ミヒャエル・ハラース 指揮/ファイローニ室内管弦楽団

http://ml.naxos.jp/album/8.553096

 

ノット/バンベルク響

http://ml.naxos.jp/album/TUDOR7144

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RSch 春 Sym op38――グレイトとアヴェマリアと死と乙女、献呈(ミルテ)op25-1 とのからみ。

 

FB 作成: 日時: 2012年1月8日 11:24

 

RSch 春 Sym op38――グレイトとアヴェマリアと死と乙女、献呈(ミルテ)op25-1 とのからみ

 

 cf)【シューマンの歌曲1840年と交響曲第一番1841年のからみ】

ロベルトの若いときの発狂体験 1833年(23歳)

クララとの結婚 

1840年リーダークライス op24(ハイネ)

1840年ミルテの花 op25 

1840年リーダークライス op39(シャミッソー)

1840年女の愛と生涯 op 1840年ロマンスとバラード op45/49/53/64

1840年詩人の恋 op48

1840年などなど 

 

つまりシャミッソーのリーダークライスよりひとつ前が、sym春op38(1841年) ザ・グレイトの発見(フランツ・シューベルトの兄への訪問)。これは1839年 FSchにおけるザ・グレイト自身もアヴェマリアとゆったりした死と乙女(のほぼ陽化された反復揺振運動)から出来ている相面が多分にあると思われる。

もちろん同時に脱都会的運動も、あそこにはあるが、つまり一見矛盾するようではあるが、脱近代/脱産業革命という相面(近代/産業革命としてのピストン運動――それは上下運動から回転運動への転化のきざしを含む――のリズムそれ自身に揺り動かされつつ同時にここから脱自されるものとしての)という重要な要素が、これとともにあるのだが、その述解はまたの機会に置いておくとして、ザ・グレイトが アヴェマリア的揺誘 + 緩い 死と乙女 の(ほぼ陽化された)反復揺振運動 から生じる極めて純化されたタナトスの相面を持つように、

RSchの春と献呈も、この点で同じである、と言ってみる。

春op38はグレイトとアヴェマリアと死と乙女、という素因の綜合から成る所が大きい。

献呈はアヴェマリアにのせた死と乙女の高貴なる欲動とその成就であり、アヴェマリア(昇華/至純)化された死の影の反復する揺振運動(産業革命という胎内、子宮の胎動!?)ともいえる。

 

ベートーヴェンNR9 グレイト シューマン ブラームス ブルックナー

第九-mov4… ド#ド#レミミレド#シララシド#ド#ーシシ グレイト-4… ミーレド#ド#レド#シラー(シド#ド#ーシ)ラーミレド#シラ/ミーレド#(ド#レド#)シラ/ラー(ファ#)ミ(ド#レ)ド#シ(←コーダ)など

 

※グレイトmov4全体が第九-mov4でできているといってよい (ところでグレイトとくにmov4、また第九-mov4歓喜のリズムのもといは近代的な——ベートーヴェン、シューベルトの生を取り巻きはじめ、また苦しめていたところの——ピストン運動である)  シューマン、ブラームス… ラーミー(レ)ド#ーシラー

 

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NHKらじるFM

ここで思ったこと。プログラム。

RSchのラインとBrahmsの3番(ドソミレド)をぶつけてきていること。通底する演奏の息づかい=ゆったりした波(息絶える前の呼吸)から、もっと時間が長ければFSchのグレイト(4楽章ラ・ミーレドシラ)を冒頭にもってきてたんじゃないか?

天使の主題は、ドソミレドと関係があるのじゃないか

Vn協で、天使の主題ミレドファミレラ(2楽章)がドソミレド(3楽章)に(ソシドレシラとともに)かわっていく

※ミレドファミレはグレイトのドレミラシドと対位(転回)関係にある

 

 

Brahmsは、RSchのVn協を出版差し止めたが、自分はよく聞いて研究したのではないか…Sym3

 

 

シューマン自身のラシドソファソファミ(ベトop98 ラーシドドソソファーミから)の変容としてのグレイト(ドレミラシド)

ドーソーミーレドのこと。 ここ、とは春の2楽章グレイトに内々に通じているものだが、典型的にはグレイトの第2楽章に出てくる

 

 

 

 

シューマン、ブラームス、ブルックナー… ラーミー(レ)ドーシラー

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