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リヒテルのBach平均律 雑記断片——空智と実惠

たいていの鍵盤奏者は、その個性が第二巻の普遍性に吸収されるかのように、第一巻においてより二巻においての演奏のほうが(脱人称性を包摂した人称性の地平で)成功するのだが、リヒテルに関してはその逆に思われる。

 

第一巻の成功があまりに超越的であるため(空智)、二巻においてもなお冥想性をひきずり、その悟達がふたたび地上に降りてくる(実惠)という二巻に「ほぼ」通底した特有の世界観に還帰しきれていない惜しい側面が残る演奏があった。

 

本人もそれは反省点だったようで、私がこうしてほしいと思った通りに、翌年ライブでは幾つかの曲の演奏解釈を(悟りを通ってきた実存・地に足をつけた生命体として)やりなおしてくれていた。

 

いずれにしても奇跡的で歴史的な演奏。

 

リヒテルが二度目のライブで果たしたことは別な言い方をするとこういうことだ。

 

一巻においては、『神は、みずからを隠すことなしには、創造することができなかった。そうでないと、ただ神だけしかいないことになる。だから、聖性もまた、ある程度は、意識に対してすらも、隠されていなければならない。そして、この世においても、隠されていなければならない。(Weil-bot)』 

自己救済を希求しつつの、この世界の透徹。

 

だが二巻(この世)の多くの作品においては、上記のような顕現-退隠作用は別の位相——すなわち宗教的実存、実惠——から、

すでに殆ど全開されている(作用的一)

| Rei八ヶ岳高原2 | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) | twitter-reiのHOME | - | - |
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