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挿入句(Parenthetic sentence)と構築(Construction)

構成における中断・切断・突発的挿入句は、構築性至上主義(仮 臨時造語)から見れば異型であり畸形だが、身体論的世界観にとってはごく普通であって真理である。

 

ノヴァーリス(Novalis)においても、こういう言葉がある。

ノヴァーリスは現象学が登場する遥か以前の哲学者だがすでに現象学的真理を突いている

 

------------- Quotation-------------

自己放棄は、あらゆる卑下の源であるが、逆にまた、あらゆる真の高揚の基盤となる。

その第一歩は内部への眼差し、すなわち、我々の自己を分離して眺める内観である。

ここで立ち止まるものは道半ばで終わる。

第二歩として外部への活発な眼差し、すなわち、自発的で冷静な外界の観察がなければならない。

(ノヴァーリス bot  Novalis bot on twitter)

--------------------------------------

 

つまり、存在の真理の高揚的追求において自己放棄を認め、その際の内部への眼差し、内観には、或る逃れがたい「分離」!、解裂を、経験することを知っていた。

これが身体論的真理でなくて何か。

リルケ(Rainer Maria Rilke)にもこのような表現があるが。

この種のぎくしゃくした「つがい」の分裂運動を不幸に痛感しない 天下る幸 に至るには、熟練を要するとの記述...。

(ドゥイノ Duineser Elegien)

 

フモール ジャンパウル シューマン (Humor - Jean Paul -  R Schumann)

 

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