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シューマン op80,op68,op54周辺をめぐって

2016年12月17日 FB投稿より

 

 

シューマン「子供のためのアルバム」op64 (1848年作曲)

についての印象変化。

 

https://www.youtube.com/watch?v=cfGR2h-UQ0M

Robert Schumann: Album für die Jugend, Op.68 - Michael Endres 

 

(開始は No28「想い出」からの設定)

 

 

以前にあれだけ調べ色々なことを見出しておきながら、この曲集について長い間、ただ一番から順繰りに思いつき書かれたかのように無意識に思い込んでいた(もちろんやや錯綜した、殆ど同時多発的ともいうべき曲同士の濃厚な有機的連関性——同一スタイルやテーマのフレキシブルな変容性——は意識してはいたにせよ 前記事参照 Op68-1 / Op68-2 )が、否むしろほぼ中央に位置する曲——メンデルスゾーンの『想い出』Op64-No28(36:50-)が、殆どすべての発出点であり曲集全体の雰囲気を覆っていて(=創作の動機)、またそのことがたいへん馥郁たる意味を帯びて他作品に、否この曲集ぜんたいに、影響を与えているのではないかと、ここ数日で思い至る。

 

Op64-No28(すべての遡及点、同曲集の作曲動機であろうところの、メンデルスゾーンの想い出)は、最後の曲 No43 『大みそか』(1:10:54-)

と、《裏返し》(上下鏡状)の関係。

(※メンデルスゾーンの死は前年11月。おおみそかはそれを回想しつつその一年(曲集全曲)終わる。)

 

ついでながらまた、1番『メロディー』(0:00-)は、半音使いとアウフタクトの有無が、28番との間にあるだけで、やはり酷似した音列による開始である。

 

これも余談ながら、No16『最初の悲しみ Erster Verlust 』(19:11-)冒頭は、『想い出』を短調!にし移調しただけ...。

 

なのでもう、この推論はほぼ確定と見ている♪

 

ただ、ではその 核となるほぼ中央の作品自身は、どうして出来たのかというと、ある作品(同作曲家 複数作品=Op54,50,80など)にも同時に遡行しなければ、というところ。

 

 

 

 

メンデルスゾーン(の死と思い出)テーマをめぐって

 

★Op80(主に 2楽章)

mov2の冒頭は(無論mov1の変容でもあるが)、かなり直にOp68-No28(メンデルスゾーンの『想い出』)テーマ自身である。

※番号としては あい前後するが、Op80のほうがOp68より前(前年)に書かれてはいるが、要するに双子の関係である。

 

Piano Trio No. 2 in F Major, Op. 80 - Robert Schumann

 

(開始は mov2 からの設定)

 

●喚起 mov2 13:10-35

 〜

●解決 mov2 8:48-56/14:28-38

(※時間が相前後するようで不可思議、と思われるかもしれないが、シューマンが挿入句を盛容れたあげく先延ばしされたかにみえる解決は、じつは喚起自身より前以て在り、この喚起 13:10-35 自身への再来としての同じ解決はなく14:28-38としてやや形を変えている)

 

ところで、このスタカート気味に、やや情熱的に上昇する 喚起 とは何か?

(直接的にはベートーヴェンの幽霊冒頭スタカートの逆向=反行形 であり Beethoven遥かなる恋人テーマの変形であり、もしくは遥かなる...の[ハ調でいうところの]レミファソラー(ソファミーレー)部分 であるが、もうひとつ↓)

 

★Op64-no28

 

0:05-0:08

https://www.youtube.com/watch?v=uNMQTU2DP00

 

印象的な上昇音列 これでもある

 

メンデルスゾーンの↑「想い出」の急所でもある、この気分の由来は、直接にはメンデルスゾーン「エリア」の印象(Mendelssohn Elijah:He watching over Israel 0:52-57 が1フレーズ。以下しばらく打ち返す波のように繰り返し)から来るものであろうが、

( https://www.youtube.com/watch?v=RLdtvOoHAvM 0:52から押し寄せる波のように度重なる上昇)

 

He watching over Israelの、"slumbers not nor sleeps"が、Op68-No28の、冒頭であるとすれば、この上昇的盛り上がりの方は、0:52-57以降にあらわれるフレーズの、シューマン的再現である

 

※これと逆(上下の対位関係)であるところの下降音列こそは Andate favori WoO57 (印象的な小躍りする恋愛感情としての下降 恋人のもとへそそくさと舞降りてくる=到着 気分)である(下降——うきうきする上昇と「下降」——音型は、幾つかそのまえぶれとして繰り返しあるが、もっとも典型的なのは 2:56-3:28 以後も繰り返される )これがロべルトとクララの愛の暗号のおそらくモトとなっており、初期ピアノ作品群やOp54などにも使用されている。そして下降(舞い降り)があれば上昇(駆け昇り)があるのが生きた、変容する音楽である...。

 

※※ところで、子供のためのアルバム Op68 の中には Non Title(untitled)の作品が3つある( No21,26,30 その他に、No34 Thema という題名のものもある)が、どれも No28 メンデルスゾーンの想い出(及び自分の家庭・クララ)のイメージがないまぜになった雰囲気の作風である。

例えば No30 untitled (41:00-) の、41:07-41:13 にも、No28「想い出(上述)」と同様、メンデルスゾーン「エリア」の残影がある(Mendelssohn Elias Op70  He watching over Israel, "slumbers not nor sleep" の "..." 部分)

 

尚このno28「想い出」 には トリルもあり《同シューマン作品 op54 のミミファミレ♯ミ tr に相当するようなド♯レド♯シド♯が!!》 およそこれと不可分なラシドミレドをも喚起させる雰囲気。波打ちつつたびたび高揚する気分( : - : )

ファミ♭レドシ ↑ソファミ♭レド ↑ファミ♭レドソ↓シ♭ーラ

 

 

それは、

★op54

https://www.youtube.com/watch?v=Ynky7qoPnUU

ここにはないのか?—— ラシドミレド(op80-mov1 mov2 にあるもの)は?

 

冒頭じゃないか!!! ドシララー(Clara)のすぐ後だ 

 

ラシドミーレード,ドーシー(シ♭ラー ラ↑ 《ミミファミレ♯ミ tr》)

 

すくなくともこれは (幻想曲ハ調でいう)ラーシドドー↓ソー,ソーファーミー (遥かなるLvB op98 に由来するもの、つまりはベートーヴェンにとって andante favori WoO 57 から来るもの二小節目)であり、シューマンのこれらにおける ※(ラシド)ミ↑ーレドーは、このメロディ——遥かなる。【ラー(ラ)シド[ド]ー】 ↓ソー,ソーファー[ミー]...(レーミーファーソー ラー ソファ)【ミ レ ド 】——からのものであり、ひいては ※※ソファミレドというロベルト&クララ暗号への帰着である。

 

※幻想曲OP17の、ラシド ド ↓ソ レ↑ードドばかりが帰着ではない

※ソファミレド型の暗号的下降...この起因は、じかにBeethoven Andante Favori WoO57 に見いだせる。

(展開部 秘めた恋愛独特の躍動感 リンクyoutube)

 

 

 

ただ、このこと(op80:op68-no28関係)を論じるのに、

 

op54
https://www.youtube.com/watch?v=Ynky7qoPnUU

を聞いておいたほうがいい気がする。

 

前の自分の投稿

http://reicahier.jugem.jp/?eid=42

http://reicahier.jugem.jp/?eid=43

 

でも、Op68には、op50やop54の影が濃いことからもいえるが。

 


今思うに最も良い仕方で、メンデルスゾーン(op68に見る)とクララ(Beethoven 遥かなる恋人 op98/Andante favori WoO 57)のイマージュが重なり合っているから。

 

cf)
op19,20,21,22,23...
Elise 「&」 An die ferne Geliebte=Immortal Beloved なのかどうか

 

 

そういう耳で さらに op54!をきいているとやはり、

op68 このアルバム、曲集の全ては、no28(メンデルスゾーンとその死。回想するところの、メンデルスゾーンの<よき>思い出——彼の楽長就任後のライプツィヒ ゲヴァントハウスorchで成功したop54、とクララ。形成しえた家族etc…)から発しているのではないかという仮説がふつふつ浮上する。

 

つまりメンデルスゾーンの思い出(前年度47年11月死去)が、ほぼこの曲集の気分ぜんたいですらあり、そしてこの曲集の中にはop54の余韻が、op68-no28を含みながら同曲集のあちこちに漂うこと、またとくにnon-title 3つの無題作品を筆頭に。。。

(このことは既に当blogに書いてあるが... 上述のリンク2つ参照)。

 

かつそのまえの年=47年、メンデルスゾーンの死の直前に作曲し終わった、とされる op80 Piano TRIO no2 の創作が、メンデルスゾーンへの思い存分に作曲されている感じが浮上。作品の曲想同士の重なり...。

ファニーがこの年(47)の5月に亡くなっていることからの、メンデルスゾーンへのいたわりなどもあろうか?

メンデルスゾーンの死(=シューマンがOp80を完成した直後)のまえに、メンデルスゾーンは代表作エリアを世に出し、シューマンはゲーゼ(かれの名も Op64 子供のためのアルバム の中に登場する)とともにこれを聴きに行っている。(サイトリンク)

 

たしかにエリアの反映が冒頭にある

(he,watching over Israel これの"slumbers not nor sleeps" の部分が、op64-no28 開始に映現しているようだ。全体の、波打つようなたゆたう感じとともに、0:52-の上昇なども、すこぶる暗示的。

 https://m.youtube.com/watch?v=RLdtvOoHAvM )

 

余談だが、この至福感を帯びた「波打つ」感じは、ヘンデル「メサイア」(Pastral〜Suddenly...Angel〜Glory to God 辺りの気分)— ベートーヴェン 田園(第一楽章 田園と草原を吹く風のうねりの線描)の路線からも来ているのではないか

 

 

 

 

2016年12月8日 FB投稿 を機に

 

シューマンop80

昨日思ったこと。

これの前に聞いていたOP41-2との連関から聞き出したが、
ここにもやはりブラームスの足跡が多い。(おもに弦楽5,6重奏曲の掛け合い仕様。天使の主題さえあり!、おそらくブラームスによりかなり研究されている。なお、このことの反映・継承は、Webern 1905 に見事にみられる。これは後日触れる。彼はベートーヴェン後期から彼自身、に至る迄、この点を継承させている)


Piano trio no2は、op80と番号が振られてはいるが

実際には、op68(子供のためのアルバム)のかかれた年の前年、1847年に書かれている。47年というのは微妙な年だ。

メンデルスゾーンが11月に亡くなる。

メンデルスゾーンの死は、おりしもこの作品(op80 Piano trio no2)作曲の「直後」だったのだが

(※先週だか先々週に判明...。2017 6/22付記)、

 

いずれにせよこの年は、メンデルスゾーンの姉ファニーがすでに5月に亡くなってはおり、メンデルスゾーンのショックの激しいのと精神状態の上下高をシューマンは当然察知している(であろう...)。そのためか不安定。

 

聞き慣れていた時は、シューマンにしては、さして短調もないし愉しげな曲想だなあという感覚だったが、よく聞くと精神の不安がよぎる覚束ぬ愉しさ。それが調性の拡張、という形で出ている!——こういうところがシューマンらしい。つまりシューマンにとって調性の拡張〜崩壊(の予兆)といった問題は、自己の精神・身体と切り離された<方法論的>なものなどではなかった。


通常の作曲家は——ブラームスやフォレでさえ——調性の拡張・逸脱を、(機能和声進行の転機を迎えつつあることから)作曲の方法論としてある種割り切っており、その点での健全さ(メソッド、スキーム、ストラテジー等々としての構え)が前提になっているが、シューマンという人間においては、方法の問題と精神-身体の問題とは不即不離である以上にむしろ全く一致している。

偶然とは感じられない。

それこそがシューマンらしさでもあると思えるのだ。

 

機能和声進行の逼塞から逸脱こそが、人間精神の逼塞と逸脱=転機そのものが、いわば集約的に一人の人間において、きわめて裂開的に具現(表徴)されているからである。
やはりなにか精神の拠り所・支柱がない感じ...。

 

 

そのように、メンデルスゾーンをすでに喪いつつある(?)こと、——それが音楽的な意味だけでなく精神的に左右していること——が、もちろんきわめておおきいだろうが、
もうひとつの不審な点として?、それまでにはシューマン音楽の錯綜するシニフィアンにとって、確実にクララであったろう<到達点(シニフィエ)>にすら、すでに揺らぎが生じている感じで——この頃(47年)まだブラームスの登場は無論なく(あれは53年正確には10月とされている)、そうした意味で具象的な代替問題までは浮上していないものの、

かといって——op41やop54の頃のような確信に裏打ちされた憧憬と同じ・もしくはその円熟線上、とは...やはりいいがたい。

 

そのせいなのか、ベートーヴェンの幽霊op70-1——ジョセフィネ像——正確には姉テレーゼを被ったジョセフィネ像(から発せられる「女性」性)と、遥かなる恋人op98——アントニア像(から発せられる「女性」性)——とが癒着している、大芸術家の搦手、暗黙裏の秘匿⁉︎を、無意識下にか意識的にかは知らないが、暴いてしまってさえいる...(キメラ/キマイラ Χίμαιρα)

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