Entry: main  << >>
バッハ、フーガの技法2
2003年10月/2004年1〜12月/2005年1月にHPに記したものを転記。このBlog記事総てがその予定であるが、これも電子書籍化なり、非個人的な何かにいずれ発表の予定

 

2004年03月19日

一ヶ月振りになってしまったが、次回からCp1からの楽曲分析に入りたい。

その前に一度バッハの他の主要作品と比した時の「フーガの技法という作品」に就て、この時点で形成された感慨を記しておきたい。 一体ここで表現されているものとは何なのだろうか。 先ほど自分の部屋を離れ、或る用事で兄の部屋を訪れた時、フーガの技法と「類似した音列」が偶然耳に入ってきた。 たしかに同じ類型に属されるであろう音型である。ドアノブに手を掛けたまま耳を澄ますと、それは聞き慣れたはずの平均律第1巻8番fugaであった。 平均律第1巻それ自体、2巻と較べれは「フーガの技法」の世界とはやや離れたロマンチシズムの有る音楽性のものが多いかも知れないが、4,8,12,24番というのはかなり実存性が濃厚な作品であり、その精神世界も諦観や虚無に通じるシビアさも伺える。 がやはり、8番にはまだ或るロマンチシズムともいえる境地が残っているであろう。あそこには、所謂「祈り」がある。

フーガの技法には、「祈り」はないのだろうか。 厳密な意味に於る祈りは、全くないとは云えないのだろうが、両者にはやはり、宗教性の意味、その位相が異なるという印象を受ける。 元来平均律に於てさえ、その「祈り」とは所謂キリスト教的な意味の祈りというよりは、その境域を脱皮してしまった<実存>の祈り――‘他の存在者’を介在させない、じかに<己自身の魂>の祈り――がある。がそれは言い換えれば余計な要素(介在的観念)を取り除いた、純一に・高度に普遍的な意味に於る「宗教的」次元としての祈りであるとも云える。 だがフーガの技法に見出されるのは、――祈りがある、と言うにしても――もうすでに「祈り」に含意されるであろうロマンチシズム(向き合いつつ包摂される存在者≒神、というものを前提にした主観や観念)の片鱗すら殆ど皆無であって、実存者の思弁と思惟が殆ど剥き出しになっている、という印象を強く受ける。

バッハの作品に限らず、或る音型乃至或る音型の連鎖というのは、そのままその作品および作者の「精神」を現わしている、といえる。そういうことになってしまうのである(音楽表現、というものは、おそらく。)

するとフーガの技法にあっては、そこでバッハが対峙していたものとは神(と言われるもの)でもなくいわゆる宗教「性」でさえなく、敢えて言うなら宗教的もしくは哲学史的に見、また思想的に言っても、本当にぎりぎりの‘宗教性’に属する境位の膜をすら脱皮してしまうかにみえる魂の位相に於ける(祈り)=括弧付きの祈り、であるということが出来るのかも知れない。じつにシビアな実存者としての己が露わとなった世界である。

 

2004年03月20日

>本当にぎりぎりの‘宗教性’に属する境位の膜をすら脱皮してしまうかに みえる魂の位相

とは何か...

所謂「祈り」をなくした次元の実存にも残りうる最後の宗教性、というものがあるとしたら、それは何か。

全てを説明され尽くしたあとに残る一文、 では何故‘このように’在る(有る)のか、という応えのない問いかけであろう。それとともに、とにかく‘このように’在るものにただ即するのみ、という実存の軌跡であろう。 それは言い換えればまた、バッハ自身が達成しえたもの、それ自身のもつ神秘である。 何故かは知らぬが ‘このように在る’ ものに、即し・是を形象化(成就)し得たその特異なる営為、その人為の神秘である。

 

2004年03月25日

平均律第1巻8番Fugueと The Art of Fugueとが、

>同じ類型に属されるであろう音型 であると思われるにも拘わらず 8番にはまだ或るロマンチシズム ・祈りともいえる境地が残っているであろう。のに、フーガの技法には、(殆ど)「祈り」は ない

のだとすると、それは何故か。

>両者はやはり、その持つ宗教性の意味、その位相が異なるという印象を受ける

ということに、何故なるのだろうか。

是に就て、先日まだ省みていなかった。 ところで「フーガの技法」の殊にどの部分が、平均律(1巻)8番と同類型に聞こえる音列と感じられたのか... それはおそらく両者の主題(基)そのものの組成にあるだろう 改めて思い直してみたところ、 最も端的にはこのようなことが思い当たる

・平均律8番…(変ホ短調)ミ♭-シ♭--ド♭シ♭ラ♭ソ♭ラ♭シ♭-ミ♭-ラ♭--ソ♭ファ

・フーガの技法…(ニ短調)レ-ラ-ファ-レ-ド-レミファ-ソファミ [or ・フーガの技法-終曲第1主題…(二短調) レ-ラ--ソファ---ソ---ラ---レ--]

このうち、♭が6つの平均律8番のほうを仮に半音下げて同じ「二短調」にして考えると、こうなる。

・平均律8番…(変ホ短調)レ-ラ--シ♭ラソファソラ-レ-ソ--ファミ ・フーガの技法…(ニ短調)レ-ラ-ファ-レ-ド#-レミファ-ソファミ

[or ・フーガの技法-終曲第1主題…(二短調) レ-ラ--ソファ---ソ---ラ---レ--]

こう見るとやはり同じ親から出現する変奏曲同士のような関係であることはわかる。 ではそのフレーズ処理の主な違いは何か。 一言で言って、双方ともに巧みな対位法に基づいた楽曲ではあるが、前者はメロディク、すなわちメロディ性がより前面に出た音列によりロマンティックなアップダウンが目立つ。そしてその醸し出されるメロディの息の長さが優先される分、対位法の展開が先へ先へと持ち越される形になっている。 だが後者フーガの技法では、メロディクに旋律を生かすことよりも、対位法の駆使が何より優先されている。きわめて厳しい音の持続性と和声の緊張感の高さが際だつ処理がなされていく。したがって、前者ではまだ名残のみられる第2声部の出だしのもつ付随性(主題=第1声部に対する従属性・伴奏性)が、後者に於てはより(主題=第一声部に対し)対等・等価に近づく。

これにより、いわゆる「雰囲気」と呼べるような空気感――主観性の膜――の醸成は削がれ、代わって弾力性・躍動感(こちらは主に冒頭主題)か もしくは、凄絶さ・絶望感(こちらは主に終曲第1主題)が、何れにせよ、現実にじかに即した実存のシビアさのようなものが主題そのものに内在しはじめ、声部同士の関係にも重々しい気分と厳格さが否応なしに具わってくるように思われる。

 

2004年09月14日

再度、再開に際して フーガの技法にかんする研究など、すでに多くの優秀な専門的知識を有たれる方々のなさっていることであろう。 そういう思いが、時折浮上しては、ふとこの探求を私自身にこれ以上続けさせぬよう働きかけてきたかも知れぬ。 だが物事は必ずしもそういうものではないだろう。 これまでの私の筆記を読み流していると、やはりこのよな文句が多々登場する。

「…の主題は、一見何かの目的のために便宜的に持ち込まれた、無関係の主題のようであるが、これ自身もじつは…に出てくる基本主題の変形の転回形…といえる形の応用である。それは、元はといえば△△主題の転回形…からおそらく生じているだろう...」

「何故、この二つは呼応するのか。 また何故、××の主題は、《出現しうる》のだろうか」

「このように、別の主題のエサンスの代表同士も、勿論基底が同じな為、互いに緊密に繋がっているのではある。 (これらが半音階性脱着がそのまま主題化し…主題の《巧みな伏線》になることは非常に示唆的である。) バッハは未完フーガに於る対位法駆使の中で、この種の半音階性の脱着を、《水面の波のように可変的に繰り返し》ながら、いよいよ主題そのもののkey音を用いて第1主題→第3主題(=B-A-C-H主題)への移行に寄与させるのである」

-----

専門的な学科や先生に付いて研究している訳ではないので、私自身まだ参考にする書物といえば2〜3のCDに添付されていた詳しい解説書くらいなものだが、そうしたものを読んでいる際にも、最も立ち止まる点は、 「まずは基本主題と《関係のない》第1主題が展開されゆき、…ついで○○が絡み合うようになる」とか 「この主題は暫く優位を占めているが、《やがてあまり知られていない2つの主題が加わ》って...」といった書法である。 それらの言葉は、まるで『或る主題Cは、AとB両者の対話進行や解決を図るためにバッハによって唐突に挿入された、これまでのものとは“無関係”の主題、』という印象を受ける。

尤もこうした書法は、素人へのフーガの技法の構造解説書としては充分なのかも知れぬ。が、私の場合どうしても立ち止まる。 哲学でもよく、「対立するふたつのものの対話と対決を解決に導くためには、これらと《まったく無関係な第三者の秩序》が必要とされる、そうした者の登場が、稲妻のように解決への道を開く」といった物言いがなされるように思う。

しかし、無関係な第三者的秩序、といわれるものは、そもそも何故登場し得、また本当に無関係、なのであろうか。無関係なものが、(解決のために)突如として!現れる、ということがありうるのだろうか。 物事が進展し某かの解決がはかられる時、そこには底深い次元での緊密な「秩序としてのつながり」が隠されていない、などということがあり得るだろうか…。

私には、ひとの思考・行動が、はたまた自然界のうごめきが、何故「そのように」成立するのか、そこには何が働いているのか、どう作用しているのか、等に就ての執拗な興味がある。 「Cを着眼しろ、そうするとこうなるからZという結論になる」 と言われる時、「何故Cに着眼するのか、何故Cは、登場してくるのか・しうるのか、また登場するべしと“発想”するのか」「(登場すべきは)Dではなくて何故Cなのか」「Cはそもそもどこからどのようにしてやってくるのか」「Cの登場はこのA×B問題の進展・解決と、どこでどう深く繋がるのか、何故それを見抜く(直観する)ことが出来るのか」 端的に言って、物事の必然性に就ての執拗な探求心がある。

それは私自身の思考が飛躍に付いてゆけないからと云えなくもないが、じつは丹念にひもとくと、飛躍の中に目を見張るほどに緊密な摂理と、物事の連関性を裏付けている、その巧みな働き――要素間の磁力的相互作用と、それらの主体の対話・発展をより緊密に成就せしむる磁場そのものの形成もしくは出現、等々――を見出すことが多いからである。

バッハの魅力もそこにある。 殊にフーガの技法ほど、徹底した合理的摂理に裏付けられた自発性の音楽はない。 同時にそれは、徹底的に“自然な自発性”が生んだ秩序をこれほど合理的構造が貫通している作品はない、ということでもある。 作品をつらぬく、このように傑出した濃密な「熟達さ」こそが、たんに神学と音楽、のみならず、科学と音楽、そして科学と神学という一見これ以上ない程相反する、と云われる者同士を結びつける驚愕を生むのだ。

 

2004年09月16日

Cp.1に就て すこし長いブランクがあったが、その間も折に触れてナガラでずっと聞き続けていた。 無意識にも深く入ってきていた所為か、Cp.1――この冒頭第1曲を聞いてすぐ、最終曲(未完フーガ)が彷彿される。聞いていて、そのまま並行するようにありありとあの未完Fが思い浮かぶのである。 そしてまた随所に、これがあの最終章の各声部フレーズの生まれる端緒になっているであろう所のフレーズというのを、既に冒頭フーガのあちこちに、見出す。 あの未完となった最終フーガの4主題のうち、推測される第4主題とされるものは、いかにもこの冒頭、Cp1の第1主題(A)自身であるから、それ以外の各主題に就て順に触れてゆくことにしたい。

まず未完F第2主題(114小節〜)の由来、前哨的片鱗に就てであるが、 この主題の開始、ファソファミレ#ド(レ)、を彷彿させるものが多々ある。わけても直接的なものは、この一連の動きからであろう。(この前哨となっているものは、伏線的効果(=Cp1、第2声部冒頭旋律自身といえる)や転回形めいたものを含め、他にもあるとして)

まずこれである。

Cp1第3声部が登場してから3小節目、つまり11小節目に現れる第2声部、ソ⌒ソファミレド、続いて(目立ちにくいが)14〜15小節目の(ミ)レ♯ドレファミレ♯ド。 (続いて準-前哨線としての)29〜30小節の第3声部の動き、シミ⌒(ミ)ラレ⌒(レ)レ♯ドシ♯ドレミ⌒(ミ)⌒ミレ♯ド、があり)、 これを引き継ぐ最低音部(第4声部)によるファ⌒ファミレドレドシ。 そして32小節の第1声部ド♭シラ♭シラソ♯ファ こうした伏線達に、弾力が付けられ、折々に16分音符での駆け込みも加われば、未完フーガ第2主題を形勢していくことになるのは必然的である。

またCp1の第1主題(主旋律)自身から伏線を見出しうるのは、まさしく57〜58小節、ミ⌒(ミ)ドレミファレソ⌒(ソ)ミラソファミレド...の部分、また67〜69、ラレファミソファミレ⌒(レ)ファミファレミ⌒(ミ)レドシドラソ♯ファソシ♯ド、であるといえる。

次は、Cp1に見出す、未完F第2主題の由来。

 

2004年10月13日

先日Cp1に見出す最終楽章(未完フーガ)での第2主題の予兆(前哨的片鱗)に就て記し、次回は同第3主題に就て記すとしたが、これらを語る際、実は何とも曰く言い難いやっかいな事情があった。 というのも、こうして鑑みるにつくづく、未完フーガの全主題(1・2・3・4)が、このフーガの技法の冒頭主題そのもの=Cp1冒頭自身に既出しており――つまり未完フーガの全構造そのものが元素としてCp1の冒頭に顔を出し――言い換えればCp1の初めの4小節(より正確且つ充全には初めの8小節)が、未完フーガの各主題で「出来ている」とさえ云っていい程の精妙な、イレコ的事情*が、このフーガの技法にはもともとあるからである。

*…私の場合、Cp1第1〜2小節(つまりCp1-第1主題かつ未完フーガの来たるべき第4主題)は、未完フーガ第1主題と同じ親の子。 Cp1第3小節は未完フーガの来たるべき第4主題(=Cp1第1主題)自身の一部であるとともに大いに未完フーガ第3主題(B-A-C-Hの主題)の伏線である――これは更に8小節まで1括りと考えれば7〜8小節目(第2声部の動き)により明確に存在する――と考える。

また未完フーガ第2主題は、Cp1第4小節の後尾が伏線となり、これは更に8小節まで1括りと考えれば6小節目(第2声部の動き)により明確に存在する、そしてその後の運動によってより推進力を得、未完フーガ第2主題の迫力それ自身へと近づく――、と考える。

しかも、未完フーガの各「主題の由来」と成り立ち」とは、同時に「未完フーガそれ自身の構造(運動)」、ひいてはフーガの技法全体を織りなす構造と運動の成り立ちにも重なり合う訳で、こうした点を顧慮した記をしようとなれば、実に表現も説明も狂おしいほどやっかいにならざるを得ないのである。

何れにせよバッハの音楽、殊にフーガの技法は、そうしたえも云われぬ重層性と交錯性を帯びる有機体、生きた音楽というより他ないが、なおかつ思い切って分節化してゆかなければならない... したがって次に書く未完フーガ第3主題(B-A-C-H)の由来を記す際には、所々で、親でもありつつ、且つ対等な運動をなす4主題のひとつとしても在る第1主題とのイレコ構造や、すでに触れたばかりの同第2主題との緊密なつながりにも触れながら、という形になるかも知れない。

 

2004年12月12日

>こうして鑑みるにつくづく、未完フーガの全主題(1・2・3・4)が、このフーガの技法の冒頭主題そのもの=Cp1冒頭自身に既出しており... 初めの8小節が、未完フーガの各主題で 「出来ている」とさえ云っていい程の精妙 なイレコ的事情*...

と先に記した。

そもそも主題同士の関係がそうなっているのが面白い。 というのも最終曲(未完F)第2主題――勿論冒頭から伏線的に登場しているが、とりわけCp9(,a4,alla Duodecima)によってその個性を明確に浮上させられ、未完F第2主題に直結しているパターンであるが、この旋律系――は、同第4主題(冒頭Cp1曲-第1声部、すなわちThe Art of Fugueとしての初発の旋律、Aに同じ)と、もともとぴったりと同時進行しうる(伴奏風旋律としての)素地を持っている。

また未完F第3主題(B-A-C-H)も、第4主題(=Cp1曲-第1声部=A)と同時進行しうると同時にこの拡大Fugueとして2小節遅れで進行するに相応しい素地も備えている。という風に、もともと共鳴する素地同士の精妙な組合せである。 未完F第1主題のみが、強いて言えば、未完Fでの第2・3・4(=A1)主題との遁走のための導入としての役割を果たしているといえる(A1と第3主題=B-A-C-Hとの両面を有し、のちに各々分立・併走する、含みのある旋律として。)

が、それでいて4声の大Fugueの一声部としての機能も無論果たす、(最後に展開されるであったろう、予想図に叶う)という具合である。

と同時に、第2主題と第3主題同士も、一見大分個性の違いが見られる主題同士だが、実は同じ発現点を有しており、両旋律の源泉は同じであったと考えられもする。

それを示すものとして まず早々に、冒頭曲(Cp.1番)第6〜8小節の第2声部には興味深いものがある。

↑ラー↓ラシドラファー⌒(ファ) シミー⌒(ミ)ファミレミーファ#ーソ

この、↑ラー↓ラシドラファー は、未完F第2主題の伏線であるが、その後の シミー⌒(ミ)ファミレミーファ#ーソ の半音階処理風ラインは、明らかに第2主題(B-A-C-H)の前兆である。もしこの前兆づくりを意識することなく、第2主題的旋律を押し進めていれば、 ↑ラー↓ラシドラファー⌒(ファ) シミレドシラソ#ラソファミレ... (実際この種のラインのまま進行している箇所は他にはあるように記憶する) などとなるはずである。

がバッハに、他ならぬ曲集の「冒頭」で、B-A-C-Hの予告する必要があったと言うことである。

 

2004年12月13日

>未完F第1主題のみが、強いて言えば、未完Fでの第2・3・4(=A1)主題との遁走のための導入としての役割を果たしているといえる(A1と第3主題=B-A-C-Hとの両面を有し、のちに各々分立・併走する、含みのある旋律として。)

と記したが、これでは大きな点を欠いている。

つまり、未完F第1主題とは、

>第4主題=A1(=Cp1冒頭部)と第3主題=B-A-C-Hとの両面を有し ているばかりでなく、 同時にあの重厚で推進力に充ちた第2主題をも「生み出し」「互いを推し進めて」いくものともなっているからである。

もちろん第2主題を誘発し、生み出すと共に添行しやすい相性のよい系譜として<これとの併走遁走(例えば1小節半のズレによる)も、可能である。 第1主題は――当然のことながら――全てとの併走が可能である。 これは他の全ての主題からも云えるが殊に未完Fに於ては第1主題が他の全主題の現出を巧みに促している…。(導入部とされるのは至当)

未完Fの第1主題は、同第2主題をも「生み出し」「互いを推し進めて」いくもの... とはどういうことか。 これは「フーガの技法」冒頭(Cp1)の書法からすでにその片鱗が見られる。

 

2004年12月14日

一昨日記した、Cp1冒頭部(6〜8小節) ラシドラファ⌒(ファ)シミ⌒(ミ)ファミレミ―ファ#―ソ

であるが、 この断続的な、幅のある上昇=ラファ⌒(ファ)シミ⌒(ミ) の進行パターンに注目したい。

これはCp1全体に渡ってあり、重々しい主題を邁進させる力の原理となっている。 最初は静かな上昇パターンとして、Cp1テーマ旋律(=未完F第4主題;A,)や半音階進行風旋律(第3主題予兆)に添行しているが、遁走の中で繰り返すうち次第に推進力を増し、 9〜11小節 ↑レ↓レ↑レ⌒(レ)ド#ーレラド⌒(ド) ラシ♭⌒(シ♭)ミラ 12〜14小節 (ラ)ドーシド⌒(ド)↓レ↑ド⌒(ド) ラシ⌒(シ)ソ#ラ 曲に弾力を与え、加速度的に未完F第2主題にも通じる最初の原理(ソファミレド♭・レドレファミレド、等のパターン:11小節,15小節)を喚起する。

これらの音の飛躍を含む押し上げるような旋律パターンは、高音部での進行と同時に、中〜低音部などへも引き継がれると、 (20〜30小節などが顕著。各声部にて交換的に行われる) 上記の未完F第2主題に繋がる旋律をも加速度的に次々と促していく、という構造が見える。 これは未完Fの構造そのものである。

未完Fは、まさに導入部(第1主題)のレ_ラ_がすべての跳躍的弾力性を象徴しており、この系譜を継いだ各旋律を通し、プレスト第2主題の出現と併行を喚起するとともに一見対比的にたゆたうようなB-A-C-H(第3主題)の出現という展開を惹起させる。(がよく見るとB-A-C-Hの前兆系譜は未完F曲の全般に渡り第1主題の弾力的系譜に添行していたのである、)という恰好である。 こういう訳で結局の所、未完Fの導入部たる第1主題の系譜は、フーガの技法の冒頭(Cp1)から顔を出している、ということになる。

 

2004年12月15日

>未完Fは、まさに導入部(第1主題)の レ_ラ_がすべての跳躍的弾力性を象徴しており、この系譜を継いだ各旋律を通し、プレスト第2主題の出現と併行を喚起する とともに一見対比的にたゆたうような B-A-C-H(第3主題)の出現という展開を惹起させる

としたが、ここで「レ_ラ_」が未完F第4主題(=Cp1第1主題=いわゆるA1)と、この未完F第1主題とに共通なことに再度触れなければならない。

この両者のレ_ラ_の違いは何か。 未完F-4(=Cp1-1=A1) レ_ラ_ファ_レ_ド#_レミファ_-ソファミ 未完F-1 レ_ラ_-ソファ__ソ__ラ__レ 同じ開始でものちのニュアンスの連れ込みに相違があるのにまず注意する。

上はどちらかというと、のちに続くフレーズは半音階的ニュアンスの濃い浮遊的旋律使いを誘発する。これが、A1であると同時にのちに未完F第3主題(B-A-C-H)をも引き出していく傾向。 が下は、実際の楽譜にも見られるように飛躍のある押し上げ的旋律で弾力を鼓舞するニュアンスの旋律使いが続いていくようになる。 その証に、これを受け継いで展開していくフレーズは以下のような群となっている。

未完F 6〜9小節 …レ_ファ⌒(ファ)↓シ↑ミ_↓ラ↑レ↑ラソファ↓レ↑シラ...

12〜15小節 …レ#ドレラ#シ⌒(#シ)↓ソ↑ド⌒(ド)↓ラ↑レド...

13小節(最低音部) …↓レ__-↑レミ 17〜20小節 ファ↓ド↑ファ⌒(ファ)↓レ↑ソ⌒(ソ)↓ミ↑ラソ...

こうしたパターンが諸声部に交代で受け継がれていく。 (この音型を頭に入れると、これよりダイナミズムとしては柔弱だが、その分半音階性への移行可能性をたたえた系譜として、昨日触れたCp1冒頭、以下の小節が浮上する。

9〜11小節 ↑レ↓レ↑レ⌒(レ)ド#ーレラド⌒(ド) ラシ♭⌒(シ♭)ミラ

12〜14小節 (ラ)ドーシド⌒(ド)↓レ↑ド⌒(ド) ラシ⌒(シ)ソ#ラ

これらの冒頭の系譜は、このことからも弾力の系譜――Cp1:A1→((Cp9:D))→未完F第2主題)と浮遊の系譜(Cp1:A1→未完F第3主題B-A-C-H)、両者をたたえている

何れにせよ、未完F-1(Cp14:第1主題)の この弾力が、未完F第1主題それ自身とともに同第2主題のアグレッシブさを触発し、遁走の仕様の中でグイグイと引き出していく傾向。――この未完F-1型は、同第2主題の直接の先駆けとなるCp9-第1主題=D*の跳躍的octv上昇にも、未完F-2(=Cp1-A1)型の側の傾向と共に、絡んでいる。

*…D(↓レ↑レ_-ド#シラソファミレド#レミファ...) この両者の性質が相まって生まれるのが、そもそもフーガの技法冒頭Cp1曲想であり、より弾力的・重厚荘厳な曲想の帰結としては、終曲未完F(Cp14)である。

ところで、他方の浮遊旋律――半音階志向=B-A-C-H型を考えてみると、 B-A-C-Hの音順のままではじぐざぐの蛇行型浮遊に感じられるが、 音順を替えるとこのように並ぶ。

(A-B-H-C) ラ-♭シ-シ-ド

若しくはこれを逆にしたもの(C-H-B-A) ド-シ-♭シ-ラ

この微弱な、考えられる限り最も飛躍のない進行パターンも、この曲集の中にちりばめられている。

これも含めて考えると、B-A-C-Hの予備軍乃至空気は曲集の中にあふれている。これについてはいつかまた触れる。

 

2004年12月16日

こうして見てきた後、Cp1を大まかに振り返ると、絶筆後想定される未完F第4主題でもあるCp1第1主題=A1を、冒頭の主旋律としながら、遁走形式を通じ次第に被せられていく第2声部,第3声部、第4声部の諸添行旋律が、思えばちょうど未完F-第1主題(導入及びエンタテイメントの役割)に直かに通じるものを備えていくよう計られており、その際、これまで分析したような飛躍的な音の押し上げ(時にCp9-Dへも繋がるoctv押上や6度押上を含)を伴う弾力系譜と、半音階な曖昧(浮遊系譜)とを巧みに融合しながら、時にダイナミック、時に微細にたゆたう陰翳を交互にたたえた可変的副旋律として、Cp1(冒頭主題)-A1に付き添いこれを進展させつつ、同時にそれ自身未完F-第2主題と第3主題、両者に相当する両系譜への伏線へと、最終的にみづからを形勢して行っているのがわかる。

Cp1に頻繁に登場する量系譜の融合的旋律とその遁走群は、既出した 6〜9小節 9〜11小節 12〜14,15小節 13小節-最低音部 17〜20小節-第1・第3声部 17〜20小節-第4声部 以外には、以下の如くである。

20〜22小節-第1・第3声部 20〜22小節-第4声部 23小節-第4声部 25小節-第4声部 26〜28小節-諸声部(上下行弾力系) 29〜30小節-第2声部 (29〜31小節-第3・4声部=未完F第2主題へ至る系譜) (31〜34小節-第1・2・3声部=同上) 35〜41小節-諸声部 42〜43小節-諸声部・未完Fの複合体(原基) 44〜47小節-2・3・4声部(上下行弾力系と幾らか柔弱系) 50〜53小節-諸声部(融合的押上) (57〜59小節-第1声部=未完F第2主題へ至る系譜) (59〜62小節-第1声部=未完F第3主題へ至る系譜) 63〜66小節第1・第3声部=推進力の形成(未完F第1主題のモチヴェーション) 67〜最終小節-諸声部・未完Fの複合体(原基) という具合に読める気がする。

いずれにせよ、微弱な、乃至弾力的な旋律の押し上げ――とこれに伴う下降=対位法、転回系としての)は、未完Fの導入(第1主題)のありかたと支配力(第2主題・第3主題の喚起・生起と併走交錯、登場するとされる第4主題との相応、etc――を全て決定づけているように思われる。

 

2004年12月17日

Cp2に就て記す前に、未完の最終楽章を、また何度も聞いてみる。 そして、それぞれに付点が特徴的なCp2,Cp6,Cp7に就て...、それぞれの特徴と質的差異、さらにそれらの構造上の繋がりに就て――当然未完Fを念頭に置きながら――、曲の断片からの閃や想像などを組み立てて、改めて少しずつ形成される思いを馳せていた。

曲集と変奏の始まったばかりである段階のCp2は、仮想の最終構造(つまり未完F)から見た場合、主にA1(Cp1の冒頭主題であるとともに未完Fで予想される第4主題)と、第2主題、第1主題(未完F冒頭出)との掛け合いのための、前哨になっている、と思われる――第3主題(B-A-C-H)は、ここでは未だあまりその片鱗が現れない(皆無ではない)。――

殊に、まずは曲の推進力として重要な、第2主題の生起をより明確化させたステップであるように思われる。(勿論、ステップといっても曲そのものの出来合いとして巧みに自立していることは間違いないが。この曲想は、荘厳さの中に、ある性急さが存り、まるでみづから審判を仰ぎに挑んでいくような様相である)

特徴的な、初めての付点の登場。 つっかけて行くような付点は、どっしりと重厚な曲の全体的な進行の中に或る種の挑戦を見出させ、ぐいぐいと前進するようなアグレッシブな感覚をもたらしている。 アグレッシブ――これは、ちょうど未完Fの中で第2主題がその主な役割を演じているのと同じであるが(但し、未完F第2主題には付点はない)、そもそもその<第2主題的要素>が何処から出現可能であるのか、をよく明かしている部分とも云える。 それは付点の効果により、Cp1より如実に明るみに出されているといってよい。

レ_ラ_ファ_レ_ド#_レ_ミ_ファ__ソファミ..の冒頭主題のうち、 最後のファ__ソファミに付点を掛け、後はそのままこのパターンを継承することでみづからは未完F第2主題の特徴の基をやや強調的・弾力的に作り上げ(つまり第2主題はA1自身から生じている!)、他の声部にA1の旋律を交互に絡めさせることでA1と第2主題との遁走をも形成・成立可能にしている。

と同時に、A1〜付点効果A2の分岐点とは、これが第2主題生成可能性の地点であると共に、のちのA3 A3(レ_ラ_ソファ_ミレ_)の登場を予告する。 そしてA3+∀3(レ_ラ_ソファ_ミレ_ + ラ_レ_ミファ_ソラ_)というのは、未完F第1主題(レ_ラ_ソファ_ソラ...レ)の基点である。

こういう訳で、Cp2の中には主に、未完Fでいう第1(A3+∀3の予兆)・第2・第4(A1)との遁走が成り立っている。 この後、第2の推進力をより顕著に存在させるCp6を通して、より明確化した第1(A3+∀3)と第2・第4(A1)との遁走を経、再度Cp7を通して、今度はより、残りの第3主題(B-A-C-H)への前哨を所々に散りばめながら、あの未完Fの死への疾駆、はもとより、その前の緊迫した曲の膨張、またその後の不安な明るみ(不安定な諦観)等々に当る部分の暗示を早くも造りあげていく。と言う風に見える。 この後、それぞれに相当する部分を詳述していくつもりである...

 

2004年12月18日

Cp2に関して記すに当たって、昨日は主に2つの点を指摘した。

-----------

・第2主題の生起を、(Cp1)よりも明確化させたステップ (主題A1の最後尾に付点処理を施し(=A2)、この付点パターンを以後貫徹することと同時に、同パターン(A2)での他声部との遁走により未完F第2主題の特徴の基をやや強調的・弾力的に作り上げていく。=第2主題はA1自身の変奏(A2)とその遁走の仕組から生じている。同時にCp2曲全体としては、A1と第2主題との遁走の成立可能性をすでに証しはじめている。)

・同時に、A1〜付点効果A2の分岐点とは、これが第2主題生成可能性の地点であると共に、のちのA3(∀3)の登場をも予告する。 (A3=レ_ラ_ソファ_ミレ_) (∀3=ラ_レ_ミファ_ソラ_) ※合わせて未完F第1主題(レ_ラ_ソファ_ソラ...レ)

--------------

このうちまず前者だが、 A1の付点変奏=A2とその遁走が何故、未完F第2主題の前兆となるのかについて。 雰囲気としては掴める人が多いと想うが、説明するのがむずかしい。 だが 未完F(114〜小節) 1)ファソファミレ#ド 2)レラレミファミレファ・ミラミファソ[ファミ]ファソ(8分音符系列:[ ]内=16分音符) 3)ラソファソラ__ソ#ファソラ#シ__ 4)ラソファミレミソファミレドシラシレ...

……

Cp2-A2(4〜小節) 1)ファソファミ・レミレド・ドレドシ 敢えて付点を外した記し方をすると ここまでは直線的進行で波がない (6小節) 2)シラシドレミファレ ここで幾らか上下の波が生じる (未完F-レラレミファミレファ、に近い型) (21〜22小節) 2)#ドレファミレソ#ラシドレファ__[ミレ]#ドレ 全体が8分音符+16分音符進行の中、[ミレ]のまとまりは32分音符、こうしたフレーズは、未完F-2)のミラミファソ[ファミ]ファソ、の類型 そして、11小節移行、フレージングに、未完F-3)に近いレガト(息の長さ)が生じる。 これは異声部間とのやりとりを、ひとつのフレーズとして解釈する場合にも、また同一声部内でのフレージングにも、存在。

例(11小節) 3)ラシドレ_ (11〜13小節) 3)↓ミ↓レ_↑レミ_ファソ_#シラ_ソファ_ソファ_ミレ_ミファ_ソラ_

*この↓ミ↓レ、から↑レの上昇だけは、これまでの付点の巡行性からは異例で、躍動的上下行をする未完F2)の類に近い。ここと並行して (12小節) #ドレミファ_ (15〜17小節-第3/4声部) ミファソラ_........#ソラシ#ドレ_ ..........ラシドレミ_ (19〜20小節)

..................

ラ#ファソラシ_ラ_#ソ ファレミファソ_...ドドラシドレ#ドレ_ミ_ (23〜24) #ドミファソラ_

.............

ラシ#ドレ_ド_ (27小節) ソミラソファ__ (28小節) ミファソラ__ etcetc 多数

未完F-4)パターンに近いフレーズの登場。 (8小節) 4)↓ラ↑ラ#ソラレソ__ファミレ#ド (29〜30小節) 4)#ソシラソファミレソ 明日は、付点変奏(A2)=A3+∀3(→未完F第1主題へ)、について。

 

2004年12月19日

今日は後者、

・A1〜付点効果A2の分岐点とは、のちのA3(∀3)の登場をも予告する… (A3=レ_ラ_ソファ_ミレ_) (∀3=ラ_レ_ミファ_ソラ_)

※合わせて未完F第1主題(レ_ラ_ソファ_ソラ...レ) について。であるが、

何故 A1旋律尾の付点処理が、A3・∀3の登場に契機を与えるのか。 付点が付いても、A1のフレーズとしての音型は変わらない。 レ_ラ_ファ_レ_#ド_レ_ミ_ファ__ソファミ が レ_ラ_ファ_レ_#ド_レ_ミ_ファ__γソファ_γミ(γ…16分付点のかわり) となっただけである。 しかし間もなくこの付点パターンを独立的な仕様として無限に繰り返す他声部(交代制)の出現と、両者(4声部)の遁走を行う内に、多声部間のやりとりがひとつの声部のフレージングとして耳に入るようになり、次第に レ_ラ_ファ_レ_のレガトの間に中間音が介入する仕組みが、おのずと耳の中に蘇生されてくるのである。 何よりまずリズムとしてこの用意が出来る。 またフレーズとしては、間接的に主にこうした箇所に於いて飛躍的に前提が敷かれるような気がする。

(22〜23小節) #ドレγファミγレ#ソγラシγドレγファ__γ[ミレ]ドγレ (31〜33小節) ミγファミγレレγミレγ#ドレ .....................ラシγ#ドレγミファγレミ..................♭シラγソファγミレγ#ドレ

(34〜36小節) ラ#ソラレ_ソ__γファミレミ_ラ_ ........................ドシラソ_ラ_ ...........................ソ⌒(ソ)ファミγレミ

(37〜37小節) ソ#ミ__レドγシドγレミ__γファミγレラ

こうした、中間に音の飛躍のない、細かい動きのフレーズである。 こうした過程を経て ラ〈シドレ〉ミ_ド_ラ_#ソ_ラ_シ_ド... ラ_ミ_〈レ〉ド_〈シ〉ラ_#ソ... などの介入の布石がなされる。 こうして主題A1へ挿入される中間音受け入れの準備(A1→A3・∀3)が出来てくる

Cp2には、まだあの、曲を不可思議な天上的不安と終末美へと超脱・膨張させていくような、未完F第3主題の暗示性は殆ど登場しない(皆無ではないと思われるが)分、悠長な流れの中にもひたひたと向かっていく終末と審判への調べは無いが、そのぶん意志的・雄壮でもある。それは未だ未完F第3主題(B-A-C-H:半音階調)を含意しない段階での、曲の地上的特徴だろう。がここで、たしかにフーガの技法のほぼ全般に渡って要求される、推進力(未完F第2主題)の要素が確立されたのである...

 

2004年12月20日

Cp3、フーガの技法第三曲目であるが、すでに終末的気分の暗示にみち、未完フーガの有つ雰囲気を、曲全体に彷彿させている。 Cp2にて、主に未完F-第2主題の契機が作られ、同-第1主題の大前提(A3+∀3の惹起)がなされていたが、ここCp3は、残り第3主題(B-A-C-H)の成立気分に満ち溢れ、主題である∀1(ラ_レ_ファ_ラ_♭シ_ラ_ソ_ファ__ミファソ)の登場もさることながら、その前口上である冒頭フレーズ∀'1(レ_ラ_ド_ミ_ファ_ミ_レ_#ド__ラシ#ド...とそれ以降の半音階調のながれ)そのものが、B-A-C-Hを彷彿させており、そのゆらゆらと続く半音階調が、次に登場する∀1(主題)に併走し、そのまま付帯状況のように付きまとっていく為、未完Fの成立条件を巧みに含意している。

 

2004年12月21日

またここで新しく登場する主題は先に述べた∀1であるが、半音階進行(細かな中間音介入)に引きずられる曲の進行と共に、Cp2で伏線の作られていたA3・∀3のスタイルが、実際に顔を出しはじめる。(殊に後半) 24〜26,55〜56,58〜59,63(半音階変奏)小節 よって、ここCp3に於て、B-A-C-H(未完F-第3主題)の前兆とともに、未完F冒頭(第1主題)の具体像が暗黙に展開され始める。(より積極的にはCp5にて) (※A3・∀3自身が「主題」として展開されはじめるのは、Cp5からである)

次に詳しい分析。

-------------

(未確定項) ここは非常に語りづらい箇所である。 Cp3と未完F(Cp14)との間には、雰囲気の酷似している点が随所にあるのに、ここがこう、という的確な掴み所がないという気がする。 だが、曲の主題を始終取り巻いているもの、付きまとうものは、少なくとも現時点からもすでに、同じ親から生じる何かだと確信の出来る気がする。 Cp3を通してますます強まる印象は、未完Fに於る、幽玄なB-A-C-H(第3主題)と、勇ましい第2主題とが、ともに同じ起点――最も原基的スタイルとしては、∀1(とそこから派生する付随,併走旋律、としての変奏)――から生じているだろうということである。 そして、この両者を強く結びつけるものは、両者の主題同士、というよりはむしろ、両者の付随旋律の在り様――これの、主題との関係の仕方、また変化・遁走の仕様――といってよいかも知れぬ。

未完F自身、あの4つの主題の現出に至る迄に、さまざまの<伏線>を用意しており、付随旋律・併走旋律とその展開を有している。その間に、それらが或る時はB-A-C-Hの前哨をはったり、推進力ゆたかな第2主題を喚起したり、冒頭第1主題の、或る種の膨張系(一部半音階上昇など)によりB-A-C-Hへの再編を予告したり、という形で弁証法的に進んでいくのである。 どの楽章でもそうであるが、Cp3もそうした伏線やら予兆が多々あり、そのことが未完Fの存在(仕様)を身近に暗示させたり或る種のパラレルな関係を垣間見せる。 未完Fに於る幾つもの(各登場主題への)伏線のうち、13〜20小節(第3声部)の一連の動きや23〜30小節、46〜50小節の1・2声部の半音階的動き、また32・33小節に典型的なラ[シ#ド]レ__レ[ミレ]#ド__、等の動きは、そもそもCp3に酷似しないだろうか。 また未完Fに度々訪れているマタイ的な処理――52〜55、162〜167小節等――と、Cp3の全体的低音処理〔典型的には10〜12小節。だが全体にわたってマタイ的(弦楽)処理と思われる〕、旋律的に膨張を引き起こす72〜73、79〜84、等々の、B-A-C-Hへの変化彷彿の仕様、等々...

また未完F-219〜220小節の処理はCp3-26〜28小節(trを含む)をひとつの原型として示唆させる。etc...

このように未完Fの旋律処理は何か常にCp3(乃至Cp5=∀1→∀3・A3)の要素とその付帯旋律仕様を多分に含んでいると思われる。

| Rei八ヶ岳高原2 | 12:48 | comments(0) | trackbacks(0) | twitter-reiのHOME | - | - |
Comment








Trackback

Calendar

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>

当BLOGの目次

-------▼「目次」------

目次誘導
電子出版予定 コピー禁止
メモ書き記事では、かならずしも論証例示は多くなし

Profile


Rei
Reiのtwitter-HOME

Archives

Category

Favourite

Reiko Suzuki

バナーを作成

Search

Link

Feed

Others

-Powered by Jugem-

Mobile

qrcode

Recommend